べートーヴェン四重奏団のショスタコーヴィチを聴いて思ふ

shostakovich_11_12_13_beethoven_q「目的は手段を正当化する」。
ショスタコーヴィチの音楽がどうしてこうも聴く者の肺腑を抉るのか、彼自身の言葉によって腑に落ちた。心身の不調と闘いながらも生み出された音楽たちは、その凝縮されたフォルムに内なる苦悩と喜びが溢れ、しかもそれらは音楽によって自浄、解放されるのだ。
十二音音楽的要素はモーツァルトにだってあると断った上で、彼は言う。

十二音音楽や偶然性音楽といった音楽「体系」の、厳密に技術的な仕組みを用いるなら・・・どれもほどほどに。たとえば、もしある作曲家が自分に強いて十二音音楽を書かせたら、自分の可能性や思想を人為的に狭めることになります。こうした複雑な体系の要素を用いることが、作品のコンセプトに従った結果であるなら、それは十分正当化されます・・・ほら、「目的は手段を正当化する」という定理がありますが、それは音楽においても、ある程度当てはまると思います。どの手段でも正当化されるのでしょうか?そうです、どの手段でもそれが最終目的に貢献するならば。
ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」P332

創造という行為には、それこそ「枠」などないんだ。真っ白なキャンバスに、しかも無限大のキャンバスに、「上」からのインスピレーションを描きつけてゆくようなものなの
だろうか。

ショスタコーヴィチの多くの弦楽四重奏曲を初演したベートーヴェン四重奏団の、各奏者に献呈された作品を続けざまに聴いた。ここにはベートーヴェンの後期作品を超える深遠で崇高な音楽が在る。ただし、ショスタコーヴィチはあくまで「人間世界」を超えることはない。そこがこの作曲家の面白さであり、またすごいところ。

ショスタコーヴィチ:
・弦楽四重奏曲第11番ヘ短調作品122(1969録音)
・弦楽四重奏曲第12番変ニ長調作品133(1969録音)
・弦楽四重奏曲第13番変ロ短調作品138(1971録音)
ベートーヴェン四重奏団
ドミトリー・ツィガノフ(ヴァイオリン)
ニコライ・ザバフニコフ(ヴァイオリン)
フョードル・ドルジーニン(ヴィオラ)
セルゲイ・シリンスキー(チェロ)

前年に亡くなった第2ヴァイオリン奏者ワシリー・シリンスキーの思い出に捧げられた作品122は7つの楽章で構成され、すべてがアタッカで奏される、まさにベートーヴェンの作品131の衣鉢を継ぐ傑作。第2楽章スケルツォの主題が終曲で再現される瞬間、思わず身震いするほど。こういうところがショスタコーヴィチの天才であり、また作品の隅々までを熟知するベートーヴェン四重奏団ゆえ成せる再現だ。

そして、第1ヴァイオリン奏者ドミトリー・ツィガノフに献呈された作品133は、2つの楽章によるもので、形式の上ではベートーヴェンの作品111を追っているように思われるものの、音楽自体は一層人間的で悲劇的。それにしても4つのパートに分かれる第2楽章スケルツォ冒頭の苦悩の音調と複雑な響きに一瞬たじろぐが、第2部アダージョに入る頃にはもはや釘づけ。
さらに、1966年に病のため辞任したヴィオラ奏者ワジム・ボリソフスキーに捧げられた単一楽章の作品138はヴィオラ独奏付弦楽トリオの態。第2部冒頭のヴァイオリンによる第2主題の弱奏がいかにもショスタコーヴィチで僕好み。続く第3部のヴィオラの活躍はこの作品の中軸となる重要なクライマックス。
ベートーヴェン四重奏団の自家薬籠中の厳しくもどこかゆるい(というか余裕があるということだ)演奏に酔い痴れる。

それぞれフォルムの異なる3つの作品を聴いて思った。彼は自分自身に厳しかった。と同時に、他の作曲家に対する眼も確かだった。その意味でドミトリー・ショスタコーヴィチの心の耳は鋭かったということ。彼の耳にかなう音楽は大絶賛したが、そうでないものは厳しくこけ落とした。息子マクシムは次のように語る。

彼は自分のことを「バッハからオッフェンバックまで、すばらしい音楽すべてを愛している」と言いました。
有名な作曲家に対するショスタコーヴィチの見解は複雑でした。たとえばチャイコフスキーの作品でも、あまり気に入っていない作品もあれば、すごく愛している作品もあったんです。ショスタコーヴィチは、スクリャービンの音楽だけは、かたくなに拒絶しました。この作曲家に対する「神智学と香水の混合」という酷評を、僕は覚えてます。
ロシア人の中では特にムソルグスキイを高く評価していて、彼の音楽を、作者の構想に一番近い状態で聴衆に届けようと力を尽くしました。
「わが父ショスタコーヴィチ」P171-172


1 COMMENT

畑山千恵子

この弦楽四重奏団は、モスクワ音楽院出身の弦楽奏者たちが「モスクワ弦楽四重奏団」として結成しました。それがベートーヴェンの名を冠した四重奏団になった訳です。
「ショスタコーヴィチ ある生涯」の訳者、藤岡啓介氏は、中川右介の実父です。中川の旧姓は藤岡で、両親が離婚した際、母親の旧姓、中川を名乗り、今日に至っています。藤岡啓介氏は出版社ICCを設立したものの、倒産しました。中川が後始末をした際、出版社アルファ・ベータを創設し、雑誌「クラシック・ジャーナル」も創設しました。

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