進化は退化である・・・

takemitsu_wakasugi.jpg小沼純一編「武満徹エッセイ選~言葉の海へ」は滅法面白い。僕は武満徹の音楽自体について語れるほど詳しくない。それでも、彼が一介の作曲家ではなく日本が誇る世界のタケミツになったにはそれなりのわけがあり、西欧と東洋を融合した音楽作りもさることながら、物書きとしての能力-びっくりするほど博学なんだということを初めて知った(失礼な話だが)。音楽についてだけでなく、自然や宇宙というところまで見据えたその考え方は、読んでいてなるほどと頷かせられることがとても多く、今まで武満徹の書いた文章をおざなりにしていたことを少々恥じた。

「音楽は祈りの形式である、とひとりの友は言う。たぶん、私自身の音楽行為も、それを言葉にして整え表すなら、その行為を支えている多層な感情は、祈りという一語に集約されるかもしれない。むしろ他の言葉によっては説明し得ぬものである、と言って差し支えない。だが、祈りはここでは既に言葉では無いなにものかである。・・・・バッハがそのマニフィカートで描いたひとすじの旋律の線は、個人の感情の諸要素と全く一致しており、たんに音の機能の帰結としてのみそれをみることは不可能である。・・・バッハは、かれを内から突動かす不分明の力にたいして敬虔であり、その深さにおいて天才であったと言えよう。そして、その力が向かうところには神があった。しかも、その個人の天才は、時代と地域社会の土壌に根ざしたものであり、たやすくは抽象しえないものであった。
だが、近代的な自我を獲得した後の文明社会は、個人の存在をできるだけ遠くへ拡散させる方向に進み、テレ・コミュニケーションは地域社会を都市化へ向かわせ、多量な情報のなかで、ひとは一様に虚しさに囚われている。それを癒すために執られる手段は、またそれ自体が自立して人間ばなれしたものになる。人間の個性は極めてエキセントリックになり、社会的な繋がりは次第に失われて行く。人間は各個にはばらばらでありながら、個人の営みはかならずしも充実しない。そこではむしろほんとうの個人を保つことは難しい。」

この件は、セミナー中にことある毎に紹介する次のE.E.カミングスの言葉のニュアンスに非常に近いものがある。
「あなたをみんなと同じ人間にしてしまおうと、日夜励んでいる世の中で、自分以外の誰にもなるまいとするのは、人間のでき得る闘争の中で最も厳しい闘いだ。そしてその闘いをやめてはならない。」
これこそ真理なり。

本日、朝から夕方まで、赤ちゃん向けコンサートの会場下見にいくつかのホールを巡った。どこも「帯に短し襷に長し」という感じ。会場の雰囲気が良くてもバギーを置く場所がないとか、あるいはエレベーターが無く不便だとか。帰り際、「バギーが発明されて子育ては楽になったろうが、昔はお母さんが負ぶって歩いてたんだよね」という話に妻となり、便利になることはある意味人間にとっての退化にも繋がっていることを再確認した。母と子のコミュニケーション、接触は子どもの観点からみたら負ぶってもらった方が安心感あるだろうに・・・。

武満徹:作品集
・ 弦楽のためのレクイエム(1957)
・ ノヴェンバー・ステップス-琵琶、尺八、オーケストラのための(1967)
・ 遠い呼び声の彼方へ!-ヴァイオリンとオーケストラのための(1980)
・ ヴィジョンズ-オーケストラのための(1989)
鶴田錦史(琵琶)
横山勝也(尺八)
堀米ゆず子(ヴァイオリン)
若杉弘指揮東京都交響楽団

1991年、武満徹の監修による正規録音。武満の天才を語らしめる名演奏だと思う。


5 COMMENTS

雅之

おはようございます。
武満の音楽こそ実演を聴かないと、その本質、真髄は理解できないです。CDでは表面的、BGM的な聴き方しかできないと思っています。
ノヴェンバー・ステップスも、実演を一度だけ聴いたことがありますが、あの特異なオーケストラ配置の視覚効果は音だけでは絶対分かりませんし、それよりなにより、あの風や雲、水の流れといった自然の息遣いの微妙なニュアンスは、ライヴでなければ理解不可能と、断言してもいいと思います。
そして、その延長線上には、ケージの「4分33秒」もあります。あれも演奏会に行かなければ絶対理解できない「音楽」です。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>武満の音楽こそ実演を聴かないと、その本質、真髄は理解できないです。
なるほど。これまで1度か2度は武満の音楽を実演で聴いた記憶がありますが、何の曲だったのか覚えておりません(まだまだ武満の音楽そのものに親しんでなかった頃なので、余計に記憶がないのです)。
>自然の息遣いの微妙なニュアンスは、ライヴでなければ理解不可能
おっしゃるとおりでしょうね。機会をみてじっくりライブに触れてみたいと思います。

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ぷみ

日本人は世界でも最も自分の子供を抱いて育てる、そしてここまで愛して愛して子供を育てる人種というのは世界には稀だそうです。家族間の絆も相対的に考えるとかなり強いようです。その結果が浮浪者の少なさという事に出ているそうです。
しかし、僕はこういった普遍的真理には相対的論理は通らないと思うんです。と言うより必要ないと思うんです。例えばよくTVでも[アメリカではこうこう、ヨーロッパではこうこう、それにも関わらず日本はこうこうである。。。]の様な発言をするコメンテーターを見受けますが確かに経済や政治ではそういった論理は幾分当たっているとは思いますが幼児も含めた教育にそういった比較論は必要でしょうか?各々の国には各々の土着文化や民族性がありそれに優越なんて無いと思うんです。当たり前ですが教育というのは親(大人)が子に教え、子が親(大人)から見て学ぶものです。その過程の中で最もそれに影響するものは民族性や教育に対する価値観であり何よりもその国または国民独自の性格です。それを踏まえた上でこれからの日本の教育を考えていくべきだと思います。なんでもかんでも教育大国であるフィンランドを始めとした北欧の真似事をするといった意見には賛同できません。その政策が果たして日本人に適応するか。そこは国民が自分自身を見直さなければならないインターナショナル化の弊害かと思います。
自分自身勿論、もう一度行きたい国やもう二度と行きたくない国(今はあまりないですが将来出てくることでしょう)はあります。正直好きな国や嫌いな国だってあります。しかし、それが果たして文化的な優越性に繋がるか否か。僕はそれぞれの国にはそれぞれの文化があると思いますし、それは否定の使用のない事実だとも思います。最近[寛容である事],岡本さんがおっしゃる [他人を受け入れる事]がいかに難しいか痛感している所です。
ところでご紹介の武満ですが僕は彼の音楽はほぼ無知です。実演はありますが正直CDも所持してません。しかし、このブログを見て非常に興味が湧きました。これから聴いてみなきゃです!御教授お願い致します。

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岡本 浩和

>ぷみ君
コメントありがとう。たいしたものだね。よくわかってらっしゃる。おそらく、日本の外に出て初めて日本という国の良いところも悪いところも見えてきたんだろうと察します。
最近セミナーなどで受講していただいた方々にお話しするのは、いかに人が「人と比べる」癖がついてしまっているかです。特に、今の日本人はそうです。相対的に云々したところで上は上がいるし、下には下がある。まったく無意味じゃないかと。
各個人が絶対的な存在であり、まさにonly oneなのです。
武満の音楽は僕もそれほど詳しくないよ。最近になってその真髄に目覚めたのかな。ともに学びましょう!

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 静かに、そして緩やかに、古の音楽

[…] 「前奏曲とフーガ」を聴いて、バッハとショスタコーヴィチに触れていたら、どうにもこうにも中世の音楽を聴きたくなり、久しぶりに古の音楽を聴いてみた。 クラシック音楽というものがそもそも大昔の音楽なのだけれど、我々が一般的に享受しているクラシック音楽なるものは300年前のバッハ以降のものがほとんど。それ以前のものは抹香臭くて、あるいはキリスト教の知識がいまひとつ不十分で随分長い間避けてきたが、35歳を超える頃からか実にその面白味が「わかる」ようになった。時にそれら(特にアカペラ)の聖なる響きに身を沈めるだけで随分思考が鮮明になり、心もともに浄められるのだから、古き聖なる音楽の力というのはやっぱりすごいものだと感心する。 しかしながら、より深く理解するとなると歴史をもう一度じっくりとひもとき、そして西洋地理についても知識を得、さらにはキリスト教そのものの本質を知ることが重要だろうから、そのあたりはいずれ時間ができた時にゆっくりと取り組みたいとも思っている。 そういえば若い頃はどうも西洋かぶれで、日本の文化など目もくれない自分がいたが、鶴田錦史さんを題材にしたノン・フィクションを読んだり、日本の古代史(「日本書紀」や「古事記」など)、超古代史について知れば知るほど、自ずと「和」というものに俄然興味を抱くようになり、その流れで日本の伝統音楽、雅楽などについてももっと聴いてみたくなった。 鶴田錦史さんの演奏は武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」でしか触れたことがない。本業の琵琶の演奏についてもいろいろと聴いてみたい。好奇心がこうも広がってゆくと時間とお金の問題がどうしても生じるが、そのあたりは少しずつ解決しながらひとつひとつゆっくりじっくりと研究してゆくか・・・。 琵琶や尺八などは意外に西洋の教会音楽と通じるものがあるかも、などと空想しつつ(そういえば、海童宗祖の法竹などは何度聴いても気絶するほどの崇高なエネルギーに満ち溢れており、すべてに通じる気がするからそういう直感は間違いないように思うが)今夜のところは西洋中世音楽を。 […]

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