プレヴィン&ロンドン響のウォルトンを聴いて思ふ

walton_1_viola_previn_lso「ところで、アンドレ・プレヴィンって誰だ?」と言いながら作曲者が驚嘆し、絶賛したという名演奏の名録音。僕の感覚では、英国音楽―特に20世紀のそれはドイツ音楽と表裏で、しかも一層堅牢で四角四面で、とっつき易くもありとっつき難くもある作品が多いように思われる。あくまで美を追求するあまり、それもかなりスノッブな美であることから調和的でありながら実に一分の隙もない、遊びの少ないあまりに真面目な音楽たちなのだ。

ウィリアム・ウォルトンの作品も然り。わかりやすいのだかわかりにくいのだか一聴判断しかねる。いかにも晦渋なんだけれど、美しさに聴き惚れる瞬間多々・・・。とっつき難い分、いつの間にかはまってしまっているのである。ある種じゃじゃ馬だ・・・。

アンドレ・プレヴィンの確実な造形力と即興性にひれ伏してしまいそう。
アゴーギク、デュナーミク、そしてバランス、あらゆる意味において譜読みの深さは前代未聞。完璧である。

ウォルトン:
・交響曲第1番変ロ短調(1966.8.26&8.27録音)
・ヴィオラ協奏曲(1994.2.14録音)
ユーリ・バシュメット(ヴィオラ)
アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響諾団

いや、というよりウォルトンの器が大きいのかも。あらゆる音楽的イディオムを吸収しての絶対音楽。第一印象は「ゴジラ」だ。伊福部のような荒々しさの中に潜む憂愁。あまりに深い響きに頭を垂れる・・・。
第2楽章プレスト・コン・マリツィアの現世的な音調は、音楽がいかにも「お祭」であることを訴えかける(あくまで僕の個人的思考)。第3楽章アンダンテ・コン・マリンコニアの静謐ながらうねる感情の妙。冒頭、フルートで奏される主題の霊験あらたかさは、この作曲家の類稀なインスピレーションの賜物であり、これ以上ない心の叫びである。終楽章は、一切を振り切っての雄渾な旋律で開始される。何という「勇気」!!

果たしてヴィオラ協奏曲。内声楽器であるヴィオラの、実に妖艶な響きに心動かされる。バシュメットの楽器は主張する。第1楽章アンダンテ・コモドはまるでショスタコーヴィチのような音楽。これほどに暗く、しかも高尚な音楽にはなかなか出会えまい・・・。
第2楽章のおどけた雰囲気はソビエト連邦の偉大な作曲家を想像させながら一層解放的だ。そして、終楽章アレグロ・モデラートにおいてウォルトンはとことん遊ぶ・・・。
ここでのプレヴィンも絶好調!!!
音楽は垣根を超える。永遠に・・・。

 


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