スパニッシュ・ギターの響き

spanish_guitar_pepe_romero.jpg昨日のブログにも書いたホアキン・ロドリーゴの墓碑銘、
「妻に全幅の信頼を寄せた夫の心(ここにあり)
私の杯は小さいけれど、私は私の杯でいただきます」

世の中で真の成功を手にした人ほど誠に謙虚であることを納得させられる言葉である。それに、何でもないシンプルな言葉の裏側には、「あなたはあなたのままでいいんだよ」と等身大の、ありのままの自分自身を受容することの大切さをあらためて教えてくれているようにも思える。

自分が自分らしくあろうとすると、世間の風当たりが強く、どうしようもなく「嘘の自分」を演じざるを得ない状況に置かれていた人も多かろう。学校では比較され、勉強ができないと劣等生のレッテルを貼られ、スポーツができないと運動音痴と蔑まれ、コンプレックスの塊になっている輩も多いように思う。必要以上に自分自身を卑下する傾向にある若者にもしばしば出会う。

そのたびに僕は言う。「君は君のままでいいんだよ」と。ロドリーゴの墓碑銘のように、たとえ器が小さかろうと、その小さい器で十分に楽しめればいいじゃないかと。無理をして自分を大きく見せる必要もない。大事なのは人生を心底楽しむことである。

スペイン音楽のもつ哀しさ、寂しさというのはどこからくるのだろう?中世の、無敵艦隊を誇っていた頃のスペイン王国ほどある意味野蛮で暴力的な国はなかったように思うが、その後の衰退により自らの力の弱さを認識したのか、あるいは反省したのか・・・(笑)。明るさの中にも時折見え隠れする翳・・・。スパニッシュ・ギターの音色を聴いているとその辺りの詩情が一際心に迫ってくる。

スペイン・ギター音楽集
・作者不詳:愛のロマンス
・アルベニス:アストゥリアス(タレガ&ロメロ編曲)
・マラツ:スペインのセレナード(セレドニオ・ロメロ編曲)
・タレガ:アラブ風奇想曲
・ソル:モーツァルトの「魔笛」の主題による序奏と変奏曲作品9
・タレガ:アルハンブラの思い出
ほか
ぺぺ・ロメロ(ギター)

もう20年以上も前に購入した音盤を久しぶりに取り出した。スペイン音楽のもつ懐かしさ、スパニッシュ・ギターの響きの何とも表現し難い哀しみ。今年はギター界にとって記念すべき年のようだが、そういえばフェルナンド・ソルも没後170年である。ソルの音楽でただひとつ現代でも聴き継がれている「魔笛」変奏曲は、モーツァルトにスペインの民族衣装を着せたような何とも洒落た名曲。

本日の「早わかりクラシック音楽講座」では、テーマであるロドリーゴの「アランフエス協奏曲」の聴き比べのほか、第2楽章の哀愁溢れるメロディをこれほどまでにポピュラーにしたきっかけのひとつであろうギル・エヴァンス&マイルス・ディヴィス・バージョンやジム・ホールのバージョンなども聴き、いつもとは少々違った趣向で3時間弱を楽しんでいただいた。好みも感じ方もそれぞれ。いずれにせよこの有名すぎる音楽をこれほどまでに集中的に聴いたのは初めてかも。よかった・・・。


4 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>スペイン音楽のもつ哀しさ、寂しさというのはどこからくるのだろう?
そうですよね。あの、イエペスが映画の主題曲で弾いてから一躍有名になった、ギター曲の代名詞である「禁じられた遊び(愛のロマンス)」も、古いスペイン民謡が原曲のようですしね。
>そういえばフェルナンド・ソルも没後170年である。
何だか「9」の年は、ギター音楽の発展に功績のあった人が多く没しているようですね。今年は去る8月13日、エレクトリックギターのレスポールの生みの親、レス・ポール氏が逝去されましたよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB
ソルの《モーツァルトの「魔笛」の主題による序奏と変奏曲作品9》は、私も大好きです。クラシック・ギターは、その肩肘張らないインティメートなところが最大の魅力ですよね。ペーター・シュライヤーがコントラート・ラゴスニヒのギター伴奏で録音(1982)した「美しき水車小屋の娘」のCDを持っていますが、これがすごく良いのです。シューベルトも生前ギターに親しんでいたみたいで、彼の歌曲も、もっとギター伴奏譜での演奏会や録音が増えてもいいと、個人的には思っています。
「妻に全幅の信頼を寄せた夫の心(ここにあり)
私の杯は小さいけれど、私は私の杯でいただきます」
いいですねえ。この、妻への一途な愛、見習いたいですね~(笑)。
私の今朝の対抗おすすめ盤は??、う~ん、参った(笑)。
この妻への純愛に勝てるのは、ジャズでもロックでもありません!
そうだ!、『恋のアランフェス』 ポール・モーリア !! 
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1259443
>大事なのは人生を心底楽しむこと

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>何だか「9」の年は、ギター音楽の発展に功績のあった人が多く没しているよう
そうですね、レス・ポールも今年亡くなりましたからね。不思議なものです。
>ペーター・シュライヤーがコントラート・ラゴスニヒのギター伴奏で録音(1982)した「美しき水車小屋の娘」のCDを持っていますが、これがすごく良いのです。
未聴ですが、とても良さそうですね。聴いてみたいです。ギター伴奏のシューベルト歌曲、魅力的のように思います。
>『恋のアランフェス』 ポール・モーリア !! 
うおー、懐かしい!!ポール・モーリアの「恋のアランフエス」がありました。「エーゲ海の真珠」や「恋はみずいろ」など、中学生の時によく聴いておりました。残念ながら今は音盤を所有していないので、久しぶりに買って聴いてみようと思います。
確かに「妻への純愛」に勝てるのはこの音盤くらいかもしれません(笑)。

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kisara

昨日クラシック音楽講座に参加いたしましたkisaraです。
ギターについてはまだまだ私も探求したく思っており、クラシックギターをいつかぜひ披露したいです♪
第一楽章の甘い音と第三楽章のはじける音の違いをお伝えしたかったのですが、ひいたことがあるひとではないと難しかったなぁと今でも思っています。
第一楽章では、指にビブラートをかけており弦もボディよりの(ギターホールのやや右側で引いているのに対して、第3楽章では、よりハードな音がでるように位置を変えていたりするのです。
ピアノは調律師さんが調律してよほどのことがない限り狂わせたりはしないと思いますが、ギターは弦をハードな音がでるような弦に変えたりもできるのです。ありとあらゆることがギターではできるのですが、音量だけは主要楽器にかなわないことですね。
またバイオリンなどののびやかな音がでないがために、トレモロなどで連続的な音を出す工夫もしています。
一方、スペインから南下しますともっと独裁政治に翻弄された市民の心を移すような音色がギターで奏でられており、ギターと自由を訴える人々の心は政治的にも使われてきた歴史をみることができます。
弦楽器は、哀愁を表現するのが得意なんでしょうかね・・
いつまでもそれが不思議でなりません。
スペインから南米に南下するとそれは・・どんどんクラシック色がなくなっていくことが音楽を聴いていてわかるのですが、クラシックとは何だろうとも思ってしまう程です。
私はギター弾きなのでギターという眼鏡で音楽をみることが多いのですが、ギターの世界には譜面がなかったりジャズ的要素もあったり協奏曲などのものもないので、クラシックとはなんだろうと興味が深まる一方です。
またクラシック音楽講座でお世話になりたいです。
ありがとうございました。

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岡本 浩和

>kisaraさん
コメントありがとう。
>第一楽章の甘い音と第三楽章のはじける音の違いをお伝えしたかったのですが、ひいたことがあるひとではないと難しかったなぁと今でも思っています。
そうかもね。僕も技術的なことはいまひとつわかりかねるので。
それでもきちんとわかっている人に講座の中で補足的にお話いただくことは大歓迎だし、とてもよかったと思います。またギター曲を採り上げる際はよろしくです。
>ピアノは調律師さんが調律してよほどのことがない限り狂わせたりはしないと思いますが
ピアノも相当ナイーブな楽器だからね。簡単に狂ってしまうこともよくあるみたいです。いずれにせよどんな楽器も生き物みたいね。
>ギターと自由を訴える人々の心は政治的にも使われてきた歴史をみることができます。
なるほど。
>どんどんクラシック色がなくなっていくことが音楽を聴いていてわかるのですが、
クラシック色がなくなるというよりラテン的な味付けが一層強くなっていくんだろうね。そういう意味では北米も南米もフロンティア・スピリットに溢れていて、ある意味「我が強い」のかもしれません。
またいらしてください。

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