オイストラフ&ムラヴィンスキーのウィーン・ライヴ(1956年)を聴いて思ふ

mozart_shostakovich_oistrakh_mravinsky_wien実に生々しい。音楽が目の前で生まれるが如く息づき、青年モーツァルトの魂が乗り移っているよう。
壮年期のダヴィド・オイストラフの、揺るぎない確信に溢れる優しく力強いヴァイオリンと、エフゲニー・ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの以心伝心的伴奏に思わず聴き惚れた。
ザルツブルク大司教コロレドに自身の音楽の素晴らしさをアピールするべく連続して生み出されたヴァイオリン協奏曲は、いずれもギャラント様式の素朴な響きが特長だが、中でも最後の第5番は「トルコ風」と呼ばれ、エキゾチックな魅力を持つ。特に、第3楽章ロンド冒頭のヴァイオリンの旋律にほろっと心が和む。
何という甘く、とろけるような音楽であることか!ムジークフェラインザールの豊かな響きが輪をかけ、一層の柔らかさと艶やかさを獲得する。いわば大人のモーツァルトとでも表現しようか。

そして、初演まもないショスタコーヴィチの協奏曲第1番。第3楽章パッサカリアのオーケストラによる厳粛で堂々たる冒頭に続き、崇高で愁いを帯びたヴァイオリンの音色がオイストラフならでは。ヴァイオリンが泣く・・・。それを支えるレニングラード・フィルの同じく深い嘆き・・・。低弦の重く解放的な伴奏と明快なヴァイオリンが同期してゆく中、音楽の表情は「歓び」へと変貌する。なるほど、これはまさに音楽による「交歓」だ。さらに、終楽章バーレスクに登場するカデンツァに心奪われる。おそらくバッハを規範にしたこの部分の音楽は、天才ショスタコーヴィチの奇跡であり、それを見事に再現するオイストラフの独壇場。コーダの圧倒的アッチェレランドにも興奮。

・モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219(1956.6.21Live)
・ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品77(1956.6.23Live)
ダヴィド・オイストラフ(ヴァイオリン)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

ほぼ同時期の実況録音である2つの協奏曲を聴いてあらためて思った。
不安や不信という人間の心の内側の「冬」を直視し、それらを解放、浄化せんと挑戦するショスタコーヴィチに対し、ただただひたすらありのままを受け入れんと自然体を表現するモーツァルト。両者はまったく正反対の方法をとるのだが、生み出された音楽の「オープンネス」は瓜二つの様相を示す(あくまで僕の孤児的感覚であり、見解だが)。
なるほど大司教に対する忠誠と教会へのお勤めに縛られていたモーツァルトと、ソビエト国家に縛られ、ある意味忠誠を誓ったショスタコーヴィチの根底に共通するのは「精神の鬱積」だ。そして、意識的か無意識的か、それはわからないけれど、彼らは音楽によって魂を解放しようとした。それゆえ、生み出された作品を聴く者は心を釘付けにされるのだ。

ショスタコーヴィチの孤高の音楽にモーツァルトが花を添える。
古典派と20世紀の2人の天才がオイストラフとムラヴィンスキーを媒介に2世紀を超えて交わり、飛翔する。

 

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