マイルス・デイヴィスの「キリマンジャロの娘」を聴いて思ふ

miles_davis_filles_eZ_kilimanjaroマイルス・デイヴィスの自叙伝(マイルス・デイヴィス、クインシー・トループ著、中山康樹訳)というのは実に面白い。いや、マイルスに限らず伝記というのは誰のどんなものでも興味深いものなんだけれど。
音楽家、ミュージシャン・・・、一括りにしてしまうと芸術家というのは、その幼少体験の強烈度合いが創造物のパワーに見事に反映されるのか。マイルスもある意味お坊ちゃん育ちのせいもあろう、実に様々な音楽体験をしている。

初めてディズとバードを聴いた1944年のあの夜のフィーリング、あれが欲しい。もう少しというところまでいったことはあるが、いつもあとちょっとだ。近いところまではいくんだ、でもやっぱり違う。それでもオレは、毎日演奏する音楽に、あれを求めている。
P14

マイルス・デイヴィスが常に挑戦し続け、そしてそのたびにバンドを解散し、新しいメンバーと音楽をやる理由はおそらくこの原体験にある。絶対に超えられない体験をティーンエイジャーの時にしてしまった以上、いつもその幻影と闘っていたということだ。彼は意外にマゾヒスティックな性格なのかもしれぬ。

それと母親との不和。若い頃からことあるごとに爆発し、反抗的な態度をとっていたとしてもマイルスにとって決して乗り越えられない存在が「母」だ。彼がセックスに溺れ、ドラッグに依存的になったその根源はマザー・コンプレックスにあると僕は推測する。しかしながら、一方でこういう抑圧的傾向がこと芸術においては大いなるパワーになるのも確か。生まれるべくして生まれたマイルス。そして彼は不世出のジャズ・ミュージシャンとなるべくしてなったということだ。

後でおふくろに「ベルマにキスばかりして、しょうがない子ね!」なんて言われて、「もし今度やったらウチの子じゃない」と、もうめちゃくちゃに平手打ちを喰らわされた。オレが何をしたって言うんだ。だろ?
あの日のことは忘れられない。オレは誰からも愛されていないと思ったものだ。
P25

気性が激しく、根本的に他人は信じることができず、頼りになるのは自らの音楽だけ。しかもそれは、一向に、いつまでも完成することがなかった。

Miles Davis:Filles De Kilimanjaro(1968.6.19-21&9.24録音)

Personnel
Miles Davis (tp)
Wayne Shorter (ts)
Herbie Hancock (el-p)
Ron Carter (el-b)
Tony Williams (ds)
Chick Corea (el-p)
Dave Holland (b)

第2期黄金クインテット最後の録音であり、次の新たなメンバーとの最初の録音であるという、過渡期的な作品だが、マイルスに迷いはない。リーダーの電化志向についていけなくなったハービーとロンが去り、チックとデイブが加入ということだが、真相は少々異なるそう。
少なくとも当時新婚旅行中だったハービー・ハンコックは帰国が遅れることでセッションに間に合わない旨を電話で伝えたところ、マイルスに切られたらしい。どうやらマイルスはハービーがもう戻りたくないのに嘘をついているのだと判断したということ(ある意味、人間不信で冷徹だが、要は固執や拘りが極めて少ないということだ)。しかしながら、マイルスのそういった(意識的か無意識かわからないが)英断が優れたミュージシャンを生み続けることになるのだから歴史というのはやっぱり面白いものだ。

ちなみに1曲目の”Felon Brun (Brown Hornet)”とラスト・ナンバー”Mademoiselle Marby”がチックとホランド加入後のもの。明らかにハービーの性質とは異なるチックのエレクトリック・ピアノ。後の”Return To Forever”にも通じるラテンの血が騒ぎ、リズムが躍動する(こういうセンスをどこかで聴いた・・・。キャノンボール・アダレイの何かのライブ・アルバムだったか・・・)。

世間が何と評価しようと「キリマンジャロの娘」は最高のアルバム。

 


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