フリッチャイ指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲第9番を聴いて思ふ

beethoven_symphonies_fricsay057第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレの抜けるような天国的美しさこそ、フェレンツ・フリッチャイの第9交響曲の白眉だ。コーダにおける金管の警告の鋭さがそれまでの静けさを打ち破ろうとしても、音楽はただ滔々と流れ、祈りを捧げ続ける。こんな音楽を聴かされると、この人が白血病に斃れ、以後音楽活動を阻まれたことが真に残念でならない。それほどに脱力的崇高な世界が現出する。
しかし、続く第4楽章プレストが総奏で鳴り響くや、悲しいかな音楽は一気に矮小になる。おそらく指揮者のせいではなかろう。有名な「歓喜の歌」を伴う、とってつけたようなこの楽章はやっぱり失敗作なのだろうか。

ベートーヴェンの〈第9〉はキッカリ1時間と5分かかる。それはまさに楽隊の筋肉と肺臓と、・・・そして聴衆の忍耐を厳しい試練のさなかに置いた恐怖の時であった。終楽章のコーラスは場ちがいだ。それがシンフォニーとどう関係するのかまるでわからない。
(1825年4月、ロンドン初演直後の批評から)
~柴田南雄著「第9交響曲の解釈について」

厳しいが、的を射た批評だ。同様に、初演30年後のアメリカの新聞紙上でも・・・。

おそらくアダージョがいちばん美しい。だが他の楽章、とくに終楽章は奇妙なハーモニーの理解を越えた連結としか思えない。ベートーヴェンはこれを作曲した時、つんぼだったのだ・・・。つまり、これまで彼を成功の天国へと導いたコンパスなしで、ハーモニーの大洋を行った巨人の創造物がこれなのであり、盲目の画家がでたらめにカンヴァスにぬりたくったようなものだ。私は衷心から申し上げるが、美の存在しないこの作品を研究するより、美に満ち満ちた他の多くの曲をお聞きになるがよい。
(1853年2月、デイリー・アトラス、ボストン)
~同上書

当時の人々が正しい耳を持たなかったと一刀両断するのは簡単だ。しかしながら、柴田南雄氏が引用するこれらかつての批評文には、現代の僕たちが「第9交響曲」に持つ先入観(イメージ)のまったくないところで書かれたものであるがゆえの真実があるように僕は思う。
実際のところ、同エッセーで柴田氏は次のようにも書く。

前3楽章と終楽章の楽想の不統一は、曲の成立過程を考えれば当然で、周知のように、たとえシラーの詩への作曲意図を若い頃から持っていたにせよ、〈第9〉の終楽章にこれを結合しようとの計画は、周知のように言わばどたん場になって定まったのである。さればこそ終楽章のあの劇的な前奏や、ベートーヴェン自身の開幕前の呼び込みを思わせるプロローグ「ええ皆さん、こんなんじゃないんでがす、もっとぐーんといい気持に嬉しくなれる奴にしましょうや!」が必要となったのであり、彼自身もそれを気にしてレシタティーフを挿入したにちがいないのだ。
~同上書

フィッシャー=ディースカウが生涯でたった一度だけ録音に参加した「交響曲第9番」で、たとえ知的で完璧な歌唱を聴かせようとも、楽曲構成が「どたん場」になって定まったものから生じる異質感はこのフリッチャイ盤に明らか。
「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」自筆譜にベートーヴェンは真意を書き込んだ。本作を教会用でなく演奏会のための世俗作品だと作曲者が訴えるのだとしても、そこは「ミサ曲」であったがゆえ、宗教的縛りがあったことをベートーヴェンはわかっていた。それならば、宗教という枠を超える、同様(あるいはそれ以上)の意図を持った作品を世に送る必要があると考え、急遽彼は「交響曲第9番」の構成をあのようにした・・・。あくまで勝手な僕の空想だけれども。

ベートーヴェンのすごさは、明らかに真理を悟っていたことだ。ブレンターノに宛てた手紙にある想いこそがその証。

ああ、わが最愛の子供よ、われわれが総てのことに一つの考えを持つようになってから、どんなに久しいことか!!―それは総ての人のなかに在ることが認められており、何もそれを隠したりする必要もない、美しい善良な心を持つに勝ることはありません。人はそのように見られたいなら、実体がその通りにならなければなりません。世界は一人の人を認めるに違いありません。世間は必ずしも間違っている訳ではありません。しかし、わたしはもっと高い目的をもっているのですから、そんなことは問題ではありません。
(1812年8月、ベッティーナ・フォン・アルニム(旧姓ブレンターノ)への手紙より)小松雄一郎訳
「音楽の手帖ベートーヴェン」(青土社)P241

ちなみに、「わが最愛の子供よ、われわれが総てのことに一つの考えを持つようになってから」という箇所は誤訳ではなかろうか。原文が不明なので勝手な僕の憶測になるが、「総てが二元を超え良心に収斂されることを楽聖は悟っており、それが誰しもの内側に存在することを知っていた」と捉えるとベートーヴェンの意図は一層わかりやすい。その上で、「実体がその通りにならなければならない」ことを一人でも多くの人に伝えんと苦肉の手段として編み出したのが交響曲第9番なのである。

ベートーヴェン:
・「エグモント」序曲作品84(1958.9録音)
・交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付」(1958.4録音)
イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)
モーリン・フォレスター(アルト)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
聖ヘトヴィッヒ大聖堂聖歌隊
フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

前3つの楽章が、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの音を髣髴とさせる超絶名演奏。第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ウン・ポコ・マエストーソの、混沌から徐々に解放されゆく音楽の妙は、見事な「音の綴れ織り」であり、他のどんな指揮者の解釈にもひけをとらない。
第2楽章モルト・ヴィヴァーチェの静かな熱狂は、トリオのめくるめく陶酔と共に実に心地良い。

 

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2 COMMENTS

畑山千恵子

石井宏さんの「ベートーヴェンとベートホーフェン」では、ベートーヴェンは器楽による素晴しいフィナーレを構想していたという指摘があります。仮に、そうしていたらどうだったでしょうか、

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