ストラヴィンスキーの交響詩「うぐいすの歌」を聴いて思ふ

stravinsky_petroushka_detoit芸術をとるのか興業をとるのか。
1920年代、バレエ・リュスもその狭間にあり、セルゲイ・ディアギレフも相当に葛藤したはず。どんなに優れたものでも観客が入らなければ、つまり売れなければどうにもならない由。
しかし、ディアギレフのすごいところは、根っからのプロデューサー気質に溢れており、振付家のミハイル・フォーキンらと明らかに異なったのは、芸術性よりもいかに大衆受けするかを重視し、それを優先した上で、新機軸を常に模索したところだ。

このパリ・シーズンでは観客の反応は好意的だったが、ディアギレフはバレエを正しい道から逸脱させているとして、より頻繁に攻撃されるようになった。まず古典の伝統を捨てたと非難された。それから筋書きを排除してバレエをただの踊りの連続に変え、芸術の中にあるファッショナブルなだけのものを軽率に追いかけていると批判された。かつて古典流派の大胆な改革者だったフォーキンは、こういった最新のバレエはまったく心に響いてこないと考えていた。センスも美しさもなく、ダンスというよりむしろ器械体操で構成されているようで、驚かせることがいちばんのテーマになっているという彼の観察は、多分に真実をついていた。私自身はたびたびディアギレフに物語と劇的な展開が必要だと主張していた。しかし彼は苛立つばかりで、時代とともに行動すべきであり、「クレオパトラ」や「シェエラザード」のようなバレエはまったくすたれたようなもので、自分が求めているのは新たな表現方法なのだと言った。
セルゲイ・グリゴリエフ著/薄井憲二監訳/森瑠依子ほか訳「ディアギレフ・バレエ年代記1909-1929」(平凡社)P222

「時代とともに行動すべき」という信条が鍵。才能をただ無暗にアウトプットするのではなく、あくまで時代が求めているものを提供すること、そのためには世の潮流を正しく分析し、それにいかに乗るかが重要だと言うのだ。
ディアギレフは「読む力」に長けていたのだと思う。彼の、ニジンスキーやフォーキンをはじめとする振付家の天才を見抜く力こそ(ジャズにおけるマイルス・デイヴィス同様)20世紀の至宝だと言っても言い過ぎでないように僕は思う。

そして可能性がある団員を3人見つけた。ドーリンとリファールに加え、彼は新入団のジョルジュ・バランチワーゼ―または便宜上バランシンと呼ばれていたダンサーに目をつけたのだが、ドーリンへの期待はすぐに消えた。
~同上書P226

3人目の候補バランシンは、妻のタマーラ・ジェヴェルジェーワが踊った作品で示していた通り、明らかに他の2人より才能があった。
~同上書P227

ディアギレフがバランシンを発見した瞬間の神々しさ。そして、すぐさま彼に機会を与える潔さ。

一方、バランシンが本格的に振付家としてデビューを果たした新しい「鶯の歌」は、ディアギレフとパリの観客両方に気に入られた。・・・ストラヴィンスキーの曲、そしてそれより程度は劣るが中国風の背景という難しい題材と取り組みながら、バランシンは誰よりも才能があることを証明してみせた。
~同上書P234

stravinsky_pulcinella_boulez・ストラヴィンスキー:交響詩「うぐいすの歌」
パトリース・フォンタナローザ(ヴァイオリン)
パトリック・ガロワ(フルート)
ベルトラン・グレナー(オーボエ)
イヴ・クェッフ(トランペット)
ピエール・ブーレーズ指揮フランス国立管弦楽団(1981.6録音)

・ストラヴィンスキー:交響詩「うぐいすの歌」
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団(1986.11録音)

先鋭的で激烈な響きのブーレーズに対してデュトワの棒は実にまろやかで優しい。ブーレーズは、例えばうぐいすを表わすフルートの音ですら無機的だ(しかしながら音楽的)。一方のデュトワは、ひとつひとつの音を丁寧に扱い、実に温かみのあるうぐいすを演出する。
それにしてもバランシン振付の「うぐいすの歌」というのを観てみたいものだ。

 

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