ルイサダのショパン「マズルカ作品33, 作品41, 作品50, 作品56&作品59」を聴いて思ふ

chiopin_mazurkas_luisada_2008もしもブラームスが晩年にピアノ・ソナタを作曲していたら、それはどんな作品になっていたのだろう?
もしもベートーヴェンが晩年にオペラを作曲していたら、それはどんな音楽になっていたのだろう?
作曲家が生涯にわたって書き続けたジャンルというのは、真に興味深い。初期のものから順を追って聴くと、技量の進化と同時に内面の充実、そして音楽そのものが一層シンプルになってゆく様がよくわかる。そして、そのジャンルに一生を捧げたという観点から、作曲家の魂までもがしっかりと刷り込まれるのである。

ショパンの場合、それは間違いなくマズルカだ。
神々しいまでに光り輝く小さな楽曲の隅から隅まで、ショパンという稀代の音楽家の喜怒哀楽、また祖国への郷愁、懐古が木魂する。
マズルカは自由だ。どこまでも羽ばたく。それゆえに、音楽は演奏者の力量に委ねられ、その良し悪しは演奏者の精神性によって左右される。そう、技術以上に「心」が重要なのだ。

ジョルジュ・サンドとの私生活をはじめ、ショパンが最も充実していたであろう時期の4つのマズルカ作品33。音楽は実に明朗で、健康的。とはいえ、作曲者らしい哀愁にも満ちる。有名なニ長調など、ルイサダの動的かつ躍動感溢れる解釈が少々主観的過ぎるように思えなくもないが、これくらいに主張はあった方が良いだろう。音楽が弾ける。
作品41が美しい。第4曲嬰ハ短調の充実度。幸福のショパンが垣間見える。

ショパン:
・4つのマズルカ作品33
・4つのマズルカ作品41
・3つのマズルカ作品50
・3つのマズルカ作品56
・3つのマズルカ作品59
・3つのマズルカ作品63
ジャン=マルク・ルイサダ(ピアノ)(2008.10.20-23録音)

変イ長調作品50-2の澄んだ明るさの中にあるふとした哀しみにショパンの心の奥底を思う。
あるいは、続く嬰ハ短調作品50-3の堂々たる強音と、優しく静かに奏でられる主題の対比にショパンの天才を思う。このあたりのテンポの揺れ、ルバート含めた表現の巧みさはルイサダならでは。嗚呼、やっぱり美しい。
さらに、イ短調作品59-1に見る深い情感。この頃のショパンは精神的にも肉体的にも相当参っていたはず。しかしながら、苦悩の裏側にある生の喜びが見事に反映され、音楽をする快感が刻まれる。ここでのルイサダのピアノは真に有機的で、これほどに活き活きした表現はなかなかない。何よりコーダの儚さ・・・。

晩年の、サンドとの最悪の時期に生み出された作品63の、シンプルで抜けた透明感が聴きどころ。ヘ短調作品63-2に見る魂の沈潜してゆく様と、嬰ハ短調作品63-3のあまりに悲しい美しさ。

 

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2 COMMENTS

雅之

>シンプルで抜けた透明感

お久しぶりです。近況報告です。
先日お会いしてから、思うところがありまして、
前からずっと考えていたCDの断捨離を一挙に決断しました。

処分したCD、はて何千枚になるのやら。

結果、長年心の中を占拠していた音楽への執着の相当部分が消え去り、
目下爽快感この上ないです。

実感するのは、アドラー心理学とミニマリストとの親和性、
禅やヨガの境地とも相性抜群みたいなことです。

今回、断捨離出来たきっかけは、
今あの国で大流行りの「爆買い」に対する反発心もあったのですが。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
ついに!ですか・・・。
さすがです。
僕などはまだまだ煩悩に支配されており、特にCDはどうにも捨て去ることができません。
アドラーも禅もヨーガもだいぶ勉強させていただきましたが、まだまだ修行が足りないようです。

確かに某国の「爆買い」というのはいただけませんが・・・。
精進します。
ありがとうございます。

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