朝比奈隆指揮大阪フィルのブルックナー交響曲第5番(1994.6.27Live)を聴いて思ふ

bruckner_5_asahina_osaka_1994153そして翌75年の7月に4度目の請願があり、審議の結果、51歳のブルックナーは遂にウィーン大学の和声法・対位法の無給講師として採用されることになった。この決定の背後には、以前から彼に好意的だった文部大臣シュトレーマイアーの影響があったと考えられる。採用は11月18日付で公示された。ブルックナーは1週間後にはもう就任講演の草稿を書いている。給与については、80年に年800グルデンの支給が決定されるまで、なお5年を待たなければならなかった。
土田英三郎著「カラー版作曲家の生涯ブルックナー」(新潮文庫)P119

何と無給で5年間も教鞭をとったのだと(ちなみに、94年の最終講義まで19年の間にブルックナーの講義を正式に登録した人数は167人で、その中にはグスタフ・マーラーやルドルフ・シュタイナーも含まれていたそう)。
たったこれだけの事実を鑑みても、アントン・ブルックナーこそ(パルジファル倣い)聖愚者というべき存在ではないのかと思えるほど。自信がないと言えばそれまでなのだが、これほどに謙虚に生きた天才はいまい。

ところで、同じ年2月から作曲が始められた5番目の交響曲は、比類のない全体観と対位法に優れた傑作で、ようやく念願叶った作曲家の堂々たる意志と自信に漲る作品であるが、これまで僕が実演、音盤様々耳にし得た中で最美はやはり朝比奈隆のもの。特に、1998年のサントリーホールでの天覧演奏会の模様は今でも忘れられない思い出だ。

なるほど彼は、日々の宗教的課題について恐ろしく几帳面にいつも計画を立て、極めて詳細にそれを記録している。グレゴリオ聖歌を歌う中世の祈祷方法は、他の所と同様にザンクト・フローリアンでも、バロック時代と啓蒙主義の時代にはすっかり行われなくなっていた。ブルックナーは彼の交響曲のクライマックスでコラールを使用しているが、これによって彼がプロテスタント教会の会衆歌に近づいていたことがわかる。
ロベルト・ハース/井形ちづる訳「ブルックナーと神秘説」
「音楽の手帖ブルックナー」(青土社)P185

ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調(原典版)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1994.6.27Live)

おそらく古今の交響曲の楽章の中でも最高の一つに数えられるだろう終楽章アダージョ~アレグロ・モデラートの、森羅万象、大いなる宇宙の全能を讃える音楽は、コーダの、朝比奈によって補強される金管群の圧倒的咆哮をもって勝利を獲得する。
ロベルト・ハースが書くように、ブルックナーの創作の根底にはキリスト教の精神が厳然と在ることは間違いないが、しかし、創造物というものが一旦創造者の手を離れると、本人の意図とは別種の意志を獲得し、ある意味独り歩きしながら成長、変化していくものなのではないのかと思えるほど、朝比奈の音楽は「宗教的なるもの」を超越する。

朝比奈隆没後、僕がブルックナーの交響曲に触れたのは数回程度だが、第5番に限らず朝比奈を超える演奏には一度も出逢えていない。それがたとえ僕の勝手な思い込み、刷り込みであったとしても、20数年にわたる朝比奈のブルックナー体験は人生の宝であったのだと言い切れる。
御大の晩年の最高の時期に享受できた幸運にあらためて感謝したい。

 

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2 COMMENTS

畑山千恵子

朝比奈さんの最後のコンサートとなった、2001年7月24日、サントリーホールでのブルックナー、交響曲第8番は忘れられません。素晴らしい演奏でしたね。

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