ショスタコーヴィチ・ツィクルスもいよいよ大詰め

僕の中でのショスタコーヴィチ・ツィクルスもいよいよ大詰め。
(「いや、待て待て、まだまだ来月も再来月も続くぞ。裏技を使ってひょっとすると4月20日の第10交響曲もとれるかもしれないし、ゴールデンウィークには『ラ・フォル・ジュルネ』が待っているし」という悪魔の声も聞こえるけれど・・・)
いよいよ23日には上野でのインバル&都響による第4交響曲ほか。どんなに壮絶な演奏が眼前に現れるのか、そのことで「今」は頭がいっぱい。
それにしても交響曲第4番とは「するめ」のような音楽だ。噛めば噛むほど味が出る。
作曲者自身が最終的に相当の自信をもって世に問うた大傑作だが、もともとの初演予定時には一旦引込めたくらいだから確かにとっつきは悪い。そういう僕も初めて聴いたときはちんぷんかんぷん。おどろおどろしい強烈な音の塊が爆発し、ある時は耳の鼓膜をつんざくほどの音量で、ある時は(特に各楽章のコーダ!)か細く極小の音が細やかに問いかける。そこには悪魔もいて天使もいる。夜もあれば昼もあり、聖なるものも俗なるものも同居する。すべてが一体となる西洋音楽史的クライマックスの極致。

第2楽章と第3楽章を繰り返し聴いた。
なんだかんだ言っても、ショスタコーヴィチは人間を愛している。
あまりに人間的な愛だが、決してストレートにはそれを表現しない。彼特有の皮肉と斜に構えた目線での告白。

・ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調作品43(1936)
・ブリテン:管楽器と打楽器のためのロシアの葬送音楽(1936)
サー・サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団

特に第3楽章最後の「静けさ」は、阿鼻叫喚、壮絶な戦いを終えてようやく行き着いた「天国的」平和の得も言われぬ瞬間。嗚呼、この祈りの音の連なりに無言のまま、そして目を閉じてただひたすら浸っていたい。
さて、エリアフ・インバルはどんな瞬間を見せてくれるのか。期待で胸がいっぱい。

ところで、余白に収められているベンジャミン・ブリテンの作品がこれまた素敵。
それにいずれの楽曲も1936年の作曲だというのがミソ。
この作品、ロシアの革命歌「同志は斃れぬ」(ショスタコーヴィチも第11番の第3楽章の主題として引用しているけれど)を主題にしており、どちらかというとブリテンがこういう音楽を作るに至った経緯が知りたい(第2次大戦の独ソ戦前だし。インターネットで少しばかり調べてみたが情報がない)。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。

>それにいずれの楽曲も1936年の作曲だというのがミソ。

今度聴きに行かれるインバルが生まれたのも、なんと第4交響曲と同じく1936年(2月16日・・・226事件の10日前)、これは期待できますね!(笑)
同年の8月21日にはハイドシェックも生まれています。
今気付いたのですが、ベルガンサも同い年ですか!(1936年3月16日 – )

歌劇『カルメン』全曲 ベルガンサ、ドミンゴ、ミルンズ、他 アバド&ロンドン響
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1756057

カルメンから、また、ショスタコの第5交響曲に連想が繋がったりして(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
なるほど、この連想も面白いです。
1936年は何とも不穏な空気に包まれた時代ですが、歴史的には非常に興味深い年だと思います。
ますます23日が楽しみになってきました。

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