アントニオ・ヴィヴァルディにあるのは圧倒的生命力。もちろんそれを表現する演奏者あってのことだけれど。
人の心を揺さぶる旋律、音楽を創造する天才。同じパターンの繰り返しといえば元も子もないが、一聴ヴィヴァルディとわかる音楽はいつどこで耳にしても清涼飲料水の如く爽快。
自分にないものを徹底的に吸収しようとする貪欲さがある意味バッハの音楽を作った。今から300年近く前、バッハは初めて見たヴィヴァルディの譜面に息を飲んだ。「イタリア体験」という衝撃。オランダに留学していたヨハン・エルンスト公子が持ち帰った様々なスコアの中にそれはあったという。公子からヴィヴァルディの協奏曲を鍵盤楽器用にアレンジするよう依頼を受けたバッハは即座にその仕事を請け負い、ヴァイヴァルディ研究に没頭した。
歌劇「オリンピアード」序曲を聴いて考えた。緩急織り交ぜて、愉悦と悲哀が錯綜する。物語の筋は知らねど、その音楽が歌劇のすべてを象徴するよう。
また、バッハが4台のチェンバロ用に編曲した4つのヴァイオリンのための協奏曲「調和の幻想」作品3-10にみる憂愁と憧憬。原曲の持つイタリア的光と翳は、ヴィヴァルディの才能を見事に表出するもの。均整のとれた彫像の如く美しい。
・ヴィヴァルディ:歌劇「オリンピアード」序曲
・J.S.バッハ:管弦楽組曲第4番ニ長調BWV1069
・ヴィヴァルディ:弦楽のためのシンフォニアイ長調RV158
・J.S.バッハ:カンタータ第42番「されど同じ安息日の夕べに」BWV42~シンフォニア
・ヴィヴァルディ:4つのヴァイオリンのための協奏曲ロ短調作品3-10「調和の幻想」
・J.S.バッハ:3つのヴァイオリンのための協奏曲ニ長調BWV1064
トーマス・ヘンゲルブロック指揮フライブルク・バロック・オーケストラ
それにしてもヴィヴァルディとバッハを交互に組み合わせたプログラミングの妙。トーマス・ヘンゲルブロックの才能がこれでもかと言わんばかりに炸裂する。
オペラや洗練された独唱曲とヴァイオリン曲の発祥地であるイタリアは、ずっと以前からその時代に主要な音楽形式―管弦楽と独奏者達の劇的・対話的な交互演奏「協奏様式」―を与えた。ここに象徴化され、しかも実在しているのは、生活空間及び世界空間の中に自らの立場を獲得し、理性の対話によってそれを守り保持しようとする、ルネッサンスと人文主義の遺産である自由人間であり、彼は、音楽を美しい動きで満たし、生き生きとした厳格なリズムに囲まれ、若々しい輝きを放っている。今日なお、トレルリ、アルビノーニ、ヴァイヴァルディの作品は、永遠の新鮮さで生き続けている。それは曙光、すなわち来たるべき時代に対する信仰の芸術であり、18世紀の力強い楽観主義に満たされていた。
ハインリヒ・ベッセラー/井形ちづる訳「ヨーハン・セバスティアン・バッハ」
~「音楽の手帖バッハ」(青土社)P270-271
自由主義、そして若々しい輝き。「調和の幻想」作品3-10を聴きながら納得した。
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