ロシア・ピアニズム

richter_scriabin.jpg上司に詰められ意気消沈しながらどうにもならなかった男が、数年後後輩を育てる立場になるや一気に才能を発揮し、元気を取り戻し輝いている姿を見ると、「人に何かを教える」という行為そのものが、人間の活力源であり、その人自身を育てる特効薬なんだとあらためて感じさせられた。
モノを教えるという立場になった時、人間は良い意味で緊張をする。無様な姿を下の者に見せられないと思うようになる。よって、結果的にそれまで以上の仕事をするようになるし、動けば当たり前だが結果ついてくるようになる。

人間は誰もが師や友人、そして同じ志を持つ仲間を必要としている。そういう人に出逢えた時に、皆本来持っていた才能を開花させ、それまで以上の結果を残すようになる。チャンスは全ての人にあるが、直感が鈍っている時、そういう「機」を逃してしまいがちだ。自分自身の「内なる声」に耳を傾けること、すなわち「内なる声」を信頼することが重要なのである。

巨匠リヒテルの遺産6~スクリャービン、ラフマニノフ、ショパン
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
※残念ながら廃盤のようだ。

晩年、舞台の照明を最小限に落とし、まるで求道者のようにピアノという器械に向かって「自己」という世界に没入していったスヴャトスラフ・リヒテル。「自己満足」といえばそうなのかもしれない。残念ながら実演を聴く機会は持てなかった。没後10年余りを経て、注目するようになったのは「後の祭」だったが、今になって彼の演奏が単なる「自己満足」ではなく、「内なる声」に耳を傾けていた姿なのだったのではないかと思うようになった。
スクリャービンのマズルカ、ノクチュルヌ。それにラフマニノフの「音の絵」。どの瞬間をとってみても老齢のピアニストのストイックな音楽がことのほか身に染みてくる。
ともかく飾り気のない無機質な音の連なりの中に、これ以上ないかというほどの情報が詰まり、得もいわれぬ「感動」を引き起こす。まことにリヒテルとは不思議な音楽家である。

芸術の世界にせよスポーツの世界にせよ、ロシア(ソ連)における教育レベルの高さは驚異的である。自らが先生から教えてもらったことを後輩につなげていき、そしてトップ・レベルに押し上げるという信念をどの人も持っていたのではないかというくらいロシア(ソ連)のレベルは高い。テクニック然り、音楽性然り。

リヒテルの師であるゲンリヒ・ネイガウスは「何も教えることがなかった」という言葉を残している。実際にはそんなことはあるまい。人は人に育てられ、人に教えることによって急成長するのだから。

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