ゲルハルト・ボッセ指揮新日本フィルのJ.C.バッハ&ブラームス第2交響曲(2009Live)を聴いて思ふ

jcbach_brahms_2_bosse_njpo199老巨匠の舞台はどんなことがあっても逃してはならないとつくづく思う。
これまでの人生の中でいかに貴重な瞬間を観るチャンスを逸しているか、真に反省の極み。大袈裟かもしれないが、音楽を愛好する者にとって、音楽が時間と空間の芸術であるがゆえの取り返しのつかない機会の損失こそが、最悪の事態なのである。

生涯一職人と自負する音楽家たちの最晩年の演奏にみられる、何とも崇高でありながらの愉悦。ヨハン・クリスティアン・バッハのシンフォニアにおける温かみ、そして、ヨハネス・ブラームスの第2交響曲での自然との一体感。こういうものは、指揮者の長年にわたる演奏活動の積み重ねと、常に先を目指し、精進を忘れない謙虚さがもたらすものだ。ゲルハルト・ボッセは語る。

演奏家にゴールはありません。私は、演奏をするたびにまだ何かあるはずだ、まだ新しいものを見つけられるはずだ、と常に考えているのです。もし、もうこれでいいと満足してしまうならば、音楽家をやめなくてはならないでしょう。音楽への情熱が、自分の欲求として自然に涌き上がってこなければいけないと、いまでも肝に銘じています。
~岩野裕一氏によるライナーノーツ

愚直ないぶし銀の如くの芸術。それこそボッセの墓碑銘なり。

・J.C.バッハ:2つのオーケストラのためのシンフォニアニ長調作品18-3「エンディミオーネ序曲」
・ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73
ゲルハルト・ボッセ指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(2009.3.26Live)

僕は、残念ながら東京芸術劇場でのこの公演には触れていない。
この録音を聴いて、おそらく当日の聴衆でないと感得できない「音楽」があっただろうと想像した。何より終演後の、会場にある人々の怒涛の喝采がそのことを如実に物語るのだが、基本インテンポで進められるブラームスの裏側に感じられる慈愛の精神に言葉を失った。
このニュアンス豊かな音楽の才はいかばかりか!
第2楽章アダージョ・ノン・トロッポの、冒頭主題の歌心と、続いて奏されるフレーズのあまりの弱音、静けさとの対比に心動かされた。音楽は常にうねり、泣く。さすがにゲヴァントハウスの第1コンサートマスターを長年にわたって務めあげてきた人だけある、そんな優しさと美しさに満ちる緩徐楽章。
そして、第3楽章アレグレット・グラツィオーソのさりげなさ。何もしないようでいて、音の淵から溢れ出す悲しみの表出は何ものにも代え難い。
さらに、終楽章アレグロ・コン・スピリートの瑞々しさと爆発力!!特にコーダは、決して慌てることなく、冷静に地に足のついた音楽が奏でられ、見事の一言。

しかしながら、むしろこの演奏会の鍵は、意外にヨハン・クリスティアン・バッハにあったのかも。それにしてもこれを聴けなかったのは人生の一大痛恨事。

突然の激しい雨。台風6号が温帯低気圧に変化したのだと。
おそらくこれは慈雨なり。

 

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