ピアソラの前にピアソラなく、ピアソラの後にピアソラなし。
アストル・ピアソラは存命当時開かれた存在であったけれど、没後は完全に閉じられた存在になってしまった。誰も真似のできない孤高の境地の体現者であったとでもいおうか。
アルゼンチン・タンゴの持つ哀愁を請け負いながら、クラシック音楽やジャズ音楽や、あるいはロック音楽までも取り込んだモダン・タンゴという独自の世界を創出し、追究し続けたピアソラの前人未踏。
それゆえに彼の残した録音はどれも唯一無二であり、後のピアソラ・ブームの折にどれほどの音楽家が彼の作品を採り上げ、カヴァーしようとも、ついに本人の演奏を乗り越える者はなく、今後も出現するようには思えない。
アストル・ピアソラの人生は、そのままタンゴのひとつの歴史でもあった。ピアソラがアニバル・トロイロ楽団で悪戯を繰り返していた頃、タンゴは黄金時代を謳歌し、数多くの楽団や歌手が個性を競っていた。その中でピアソラは、タンゴのエッセンスを存分に吸収した。そして自らの楽団を結成した時、それは既にタンゴ界の先端を行くものであった。
~斎藤充正著「アストル・ピアソラ闘うタンゴ」(青土社)P549
国民性、あるいは民族性。そこに住む人々の根底にしか流れ得ない血が数多の彼の作品には流れる。それはもう生れ持ったセンスだ。しかし、その天才の上に、ピアソラの血の滲むような大いなる努力があった。そのことは、アニバル・トロイロ楽団入団にまつわる逸話、そしてその後の活躍に如実に示される。
ゴニは私を狂わせた。彼がトロイロの楽団で弾いている時、私は彼の前に手帳を持って座り、あとでバンドネオンの手本に出来るよう、彼の弾いたものをすべて書き取ったんだ。トロイロを見たとき、私には年寄りに見えた。彼は25歳で私は18歳だった。私は彼のように弾きたいと思った。私はヘルミナルに午後2時から夜8時まで居続けた。バンドネオンで弾けるよう、注意深く聴いては指でテーブルを叩きながら小節を繰り返した。下宿に帰ると覚えたことをすべてバンドネオンで弾いてみた。そうして記憶を頼りにレパートリーを覚えていったんだ。
~同上書P73
ASTOR PIAZZOLLA and The New Tango Quintet:La Camorra(1988.5録音)
Personnel
Astor Piazzolla (bandoneón)
Fernando Suárez Paz (violin)
Pablo Ziegler (piano)
Horacio Malvicino, Sr. (electric guitar)
Héctor Console (bass)
何と言ってもアルバムのタイトルにもなる”La Camorra”(3部作)の、あらゆる人間感情の機微を見事に表すアンサンブルの妙。ピアソラらしい他の楽器を挑発するうねるバンドネオンの響きと、それを追随するように哀感溢れるメロディを歌うスアレス・パスのヴァイオリンやエクトル・コンソールの静かでありながら深いベースの音に心動く。
そして、“La CamorraⅢ”後半を彩る、パブロ・シーグレルのピアノ・ソロの美しさに感無量。
アストル・ピアソラ、23回目の命日に。
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