ブーニンのショパン「24の前奏曲」(1990.12録音)を聴いて思ふ

chopin_24_preludes_bunin256「寒い夜の自画像」(1929年1月20日)
恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、

おまへの魂がいらいらするので、
そんな歌をうたひだすのだ。
しかもおまへはわがままに
親しい人だと歌つてきかせる。

ああ、それは不可ないことだ!
降りくる悲しみを少しもうけとめないで、
安易で架空な有頂天を幸福と感じ做し
自分を売る店を探して走り廻るとは、
なんと悲しく悲しいことだ・・・
大岡昇平編「中原中也詩集」(岩波文庫)P316

中原中也の未刊詩篇から一篇。21歳の詩人は何を想うのか。肺病で若くして逝った詩人の魂が、同じく肺病で死んだショパンの魂と同期するよう・・・。

ショパン国際コンクールの覇者とはいえ、この人のショパンにはあまり良い印象がない。全部を聴いたのかといえばそんなことはないので、そもそも勝手な評価を下すのは間違っているのだけれど。
それでもリリース当時、何となくインスピレーションが走って手に入れた「24の前奏曲」だけは今もって座右の盤。僕たちの想像の上を行くテンポの揺れ、そして音の強弱と流れ。ジョルジュ・サンドとの愛のマジョルカ島逃避行とはいえ、病に侵されたショパンの身体は重篤で、実に悲観に満ちた時間を過さざるを得なかっただろうことが目に浮かぶ、その表情は暗く切ない。

この2週間はひどい病気だったのです。18度に温めてあるのにかぜをひいた。バラ、オレンジ、椰子、イチジク。この島の最も有名な3人の医者が診てくれた。一人はぼくのたんをかいで見た。二人目はたんの出るところをたたいて見る。三人目は打診をしてたんの出るをのをきく。一人目のはぼくは死ぬといった。二人目は死にかけているといった。三人目は死ぬだろうといった。しかもぼくは不断と変わらない気持だ。
1838年12月3日付、パルマからパリのジュリアン・フォンタナ宛
アーサー・ヘドレイ著/小松雄一郎訳「ショパンの手紙」(白水社)P232

弱気のショパンと、それでも気持ちは前向きにと希望に溢れるショパンの葛藤。
その内側をブーニンは何と見事に表現したことか。
実際のところ、ピアニストその人もコンクールから何年かを経て、全曲を具に研究し、そして録音に至ったこの頃にようやくショパンの「前奏曲」というものが何なのかを理解できたそう。

・ショパン:24の前奏曲作品28
スタニスラフ・ブーニン(ピアノ)(1990.12.1-3録音)

尋常ならぬ想いを込めて歌う第7番イ長調の、短いながら深遠な調べに涙する。第11番ロ長調の快活な音楽も、ブーニンの手にかかれば実に哀感漂う。雄渾な第13番嬰ヘ長調は中也の言う「安易で架空な有頂天」の如し。
「雨だれ」の前奏となる第14番変ホ短調の暗鬱ながら何とも美しき飛翔!この暗さこそがショパンの真髄だ。そして、第15番変ニ長調「雨だれ」のあまりの透明さに感動。

「この24のプレリュード」には、従来の倍の時間を要しました。沢山の昔のピアニスト達のそれを聞きました。・・・この“大作”を仕上げるのに、技術的・芸術的問題にぶつかりました。それは、弾き手にとって技術的には“超絶的”というほどではないが、“響き”をどう表現するかということでした。このプレリュードは、指で弾くものじゃなく、響きで弾くものです。・・・ショパンコンクールやその後のコンサートでもこの中のいくつかは弾いては来ましたが、でも、これほど意味の深いものだったとは想像を絶するものでした。
(1991年2月八ヶ岳にて―スタニスラフ・ブーニン―)
~TOCE-6840ライナーノーツより

スタニスラフ・ブーニンを聴かなくなって久しい。
最近のこの人はどうなのだろう?

 

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2 COMMENTS

ヒロコ ナカタ

ブーニンの「24の前奏曲」のCDを買い、聴いてみました。
今まで前奏曲といえばジェリー・マリガンのと、「雨だれ」しか印象に残っていなかったのですが、先日、ポゴレリッチのCDを車を運転しながら何気なく聴いていましたところ、ある曲のあまりの美しさに思わず落涙、13番でした。13番は前奏曲の中でも異次元の美しさではないかと思いました。それから手持ちのCDを軒並み聴いてみました。(といってもホルヘ・ボレット、小菅優、ペルルミュテール)弾き手によって印象が少しずつ違ってどれも美しいけど、異次元は感じませんでした。ブーニンはたいへん力を込めて、いろいろな伏線の音を工夫して響かせて弾いているように思いました。
 話は違いますが、ポゴレリッチの弾くピアノの音はなにか特別な響きがありましょうか。まあ、誰でも独特の音を持っているのかもしれませんが。 よくわからない文章ですみませんでした。

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様

http://classic.opus-3.net/blog/?p=25179
http://classic.opus-3.net/blog/?p=20661
http://classic.opus-3.net/blog/?p=20651

「24の前奏曲」は、確かにジェリー・マリガンもサンソン・フランソワも、もちろんポゴレリッチもアルゲリッチも素晴らしいのですが、しかし、僕の中ではこのブーニン盤が最右翼です。
うまく説明できないのですが、譜面どおりに弾き流せばある意味陳腐なこの曲集を、大変な工夫をもって演奏するのがブーニンなのかなと。
リリース当時初めて聴いたときの感激がいまだに薄れません。

>ポゴレリッチの弾くピアノの音はなにか特別な響きがありましょうか。

これは間違いないですね。かつての録音はどれもが神がかっています。

http://classic.opus-3.net/blog/?p=25343
http://classic.opus-3.net/blog/?p=15595
http://classic.opus-3.net/blog/?p=15585

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