心身のクリーニング

今、アーユルヴェーダ関連の本を読んでいる。
「要するに、この世に起こることのすべては、正常であるか異常であるかのいずれかであり、そのいずれにも相応しい理由がある。理由なくして起こってくるものは、一つとしてありえない」という。
なるほど、まさに「原因と結果の法則」。人は病気になったり問題を抱えたりする。その際、根本的な原因を突き止めようとする人は意外に少ない。棚上げしてしまい、そのうちそういうことがあったことすら忘れてしまう。問題が解決されたわけではないのでいずれまた同じような「問題」が起こってくる。結局、常に自分自身の軸がぶれないように「意識」を清らかにし、つなぎ留めておかなきゃならないのだ。

天気のよい一日がまた始まる。チベット体操の後シャワーを浴びる。布団を干し、選択をし、掃除をし、床を磨く。そしてトイレの掃除。何でもない当たり前のことだが、身の周りを清潔にすることも心身を清めることも「意識を清らかにつなぎ留める」重要な行為なのである。BGMにはドヴォルザークを聴く。アメリカ時代の傑作「弦楽四重奏曲」。

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番ヘ長調 作品96「アメリカ」
アマデウス四重奏団

ドヴォルザークの音楽は哀愁を伴いつつも陽気である。聴いていて気持ちがよい。年中聴きたい音楽では決してないが、初夏のこの時期には妙にはまる音楽だと思う。特に「新世界」やこの「アメリカ」、「チェロ協奏曲」などアメリカ時代に作曲した楽曲はいずれも傑作の名に相応しい。こういう楽曲を聴いていると感じるのだが、稀代のメロディスト・ドヴォルザークは無意識だが常に「インスピレーションのアンテナ」をつなぎとめておいたのかもしれない。

そういえば以前、プラハにあるドヴォルザークの夏の家を訪問したことがあるが、小奇麗な建物、部屋であった。「傑作の創造」とは、いつもクリーンに清潔に保っていたから為せる業なのだろう。

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