マタチッチ指揮フランクフルト市立劇場管の歌劇「フィデリオ」(抜粋)(1959録音)を聴いて思ふ

beethoven_fidelio_matacic310邪悪なキャラクターを音にするときの天才の筆は、強烈なオーラを発する。
例えば、「フィデリオ」第1幕におけるドン・ピツァロの合唱付きアリア「ああ、今こそチャンスだ」における激情とドラマ性は、「魔笛」第2幕における夜の女王のアリア「地獄の復讐が我が心に煮えかえる」のそれとほぼ相似形。おそらくベートーヴェンはモーツァルトの影響を受けたのだろうが、それにしても邪な本心を描く時の聖者たち(?)の創造力は凡人の想像をはるかに越え、聴く者の恐怖心を強烈にかき立てる。

ベートーヴェンは森の静けさとただあるがままの森を、ことのほか好んだ。一見風体のモーツァルトもおそらく宇宙、自然とひとつだった。
18世紀生れの天才二人は、善の裏には悪があり、悪の裏には必ず善があること、そしてその二元思考を超えることこそが人類を、世界を救う唯一の方法であることをいつの日か悟った。それを僕たちに知らしめるために音楽を書いたのである。答は自然という大いなる芸術の中にあったということを。

哲学者カントは「永遠平和のために―哲学的な草案」の中で次のように語る。

ともに暮らす人間たちのうちで永遠平和は自然状態ではない。自然状態とはむしろ戦争状態なのである。つねに敵対行為が発生しているというわけではないとしても、敵対行為の脅威がつねに存在する状態である。
カント著/中山元訳「永遠平和のために/啓蒙とは何か他3編」(光文社古典新訳文庫)P162

人間とはそもそもイコール我(エゴ)なのである。そんな状態を回避する方法としてこの哲学者は大自然を挙げる。

永遠平和を保証するのは、偉大な芸術家である自然、すなわち〈諸物を巧みに創造する自然〉である。自然の機械的な流れからは、人間の意志に反してでも人間の不和を通じて融和を創りだそうとする自然の目的がはっきりと示されるのである。われわれは目的に適ったこのありかたを、その作用法則が理解できないある原因による強制と考えれば運命と呼ぶことができるだろうし、世界の推移における目的を考えれば、摂理と呼ぶこともできる。この摂理とは、人間の客観的な究極目的を実現するために、この世界の推移をあらかじめ定めている高次な原因であり、深きところにひそむ叡智なのである。
~同上書P191-192

自然には誰も敵わない。自然に反することなく対峙し、自然を感じ、自然とひとつになること。真理を獲得するために余計な思考(企て)は不要ということ。モーツァルトもベートーヴェンも、超越の物語をオペラ化しようと試みたことに無理があった。言葉は実際真理を遠ざけるゆえ。

とはいえ、「フィデリオ」は決して駄作ではない。幾度も改訂せざるを得なかったのは、世間の情況含め運が悪かったとしか言いようがないが、それでもベートーヴェンに作品について「考える」時間を与えてくれたのだと理解するなら納得がゆく。
物語よりも音楽そのものに触れよ。

マタチッチが壮年期にフランクフルト市立劇場で録音した抜粋版は、人工的なエコーやエフェクトのついた音質を超え、ベートーヴェンの真意をむき出しにするほどエネルギッシュだ。

・ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」作品72抜粋
アルトゥーロ・サージ(フロレスタン、テノール)
アニア・シリア(レオノーレ、ソプラノ)
レオナルド・ヴォロフスキー(ドン・ピツァロ、バリトン)
ペーター・ラガー(ロッコ、バス)
エルンスト・グートシュタイン(ドン・フェルナンド、バリトン)
シルヴィア・シュタールマン(マルツェリーネ、ソプラノ)
ヴィリー・ミュラー(ヤキーノ、テノール)、ほか
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮フランクフルト市立劇場管弦楽団、合唱団(1959録音)

おお、何とうれしいことだ、
自由な空気の中でやすやすと呼吸ができるなんて。
ここだけに人生はあるのだ。
牢屋は墓だ。
名作オペラブックス3「フィデリオ」(音楽之友社)P83-85

第1幕フィナーレ囚人たちの合唱「おお、何たる楽しさ」の崇高な調べに癒される。思考という枠を超え、自由になれと。
第2幕冒頭のフロレスタンのレチタティーヴォとアリア「神よ、ここは何という暗さなのだ」は、自分の身の絶望と、妻レオノーレへの無限の熱い愛情を歌う名曲だが、何より伴奏となる「レオノーレ」序曲のテーマが聴こえるたびに魂の高揚を覚える。
さらに、後半の四重唱「奴は死ぬのだ!」の情感豊かな4人の歌唱に痺れ、フィナーレの「万歳!この日この時」での、野人マタチッチのオーケストラと独唱者、そして合唱団と一体となった彼ならではの人間味あふれる勢いある演奏に思わず笑みがこぼれるのである。

ベートーヴェンの作品、それも「傑作の森」以降の作品のほとんどは「永遠平和のために」創造されたものであろう。

 

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