アファナシエフのショパン「マズルカ集」(2001.4録音)を聴いて思ふ

chopin_mazurkas_afanassiev308サン=テグジュペリは「人間の土地」第8章『人間』の中でかく語る。

どうしたら、ぼくらの心の中の、この一種解放のような状態を、助成することができるだろうか?人間にあっては、すべてが矛盾だと、人はよく知っている。ある一人に、彼が思うまま制作に力をそそぎうるようにと、食う心配をなくしてやると、彼は眠ってしまう。勝利の征服者はやがて軟弱化する、気前のよい男に金を持たせると守銭奴になってしまう。人間を幸福にしてやると称する政治上の主義も、ぼくらにとって、はたしてなんの価値があるだろうか、もしあらかじめぼくらが、その主義がどんな種類の人間を幸福にしようとするのかを知らなかったら。だれが生れるのか?ぼくらは、食糧さえあれば満足する家畜ではない、またぼくらにとっては一人の貧しいパスカルの出現が、らちもない富豪の出現などよりずっと価値がある。
サン=テグジュペリ作/堀口大學訳「人間の土地」(新潮文庫)P201-202

精神を、魂を高めることが僕たちの課題だ。
ぶつかい合い、戦うのを止めるには、そして「解放のような状態」を体得するには「よく聴くこと」だろう。自然を、音を、呼吸を、さらに機微を。

秋の足音が聴こえる。
五感を研ぎ澄まし、音や匂いや気配や・・・、世界の移ろいを感じる。
音楽は一体どこから来るのだろう?創造する者を媒介にし、譜面という形で残されるけれど、音そのものは無形であり、瞬時に消え行くもの。
ただひたすら無心に音楽に寄り添えば、媒介者を超え、森羅万象の音が響く。
一人の貧しい音楽詩人の出現は真に価値あるもの。

ヴァレリー・アファナシエフのショパンは、彼の職業、そしてその資質通り実に文学的、哲学的だ。
時に堅牢な文語調で、雅に聴く者に迫り、時に柔らかく、まるで耳元でそっと囁きかける内緒話の如く優しく響く。しかもそれが、ひとつの楽曲の中で移ろうのだから見事。

久しぶりに「マズルカ集」を聴いた。
相変わらず、深沈たる音調と緩やかなテンポで奏される音楽は、僕たちの身や心を砕き、あっという間に魂にまで届くような深遠さをほこる。本当は実演で触れることが肝腎だと思うのだが、ことアファナシエフのコンサートに関しては良い思い出がない。あまりに頭脳に働きかけた演奏に終始し、終演後、脳みそが爆発しそうな疲れに襲われるというのが常。運悪く偶然だと思いたいところだが。

ショパン:マズルカ集
・イ短調作品17-4
・変ロ短調作品24-4
・変イ長調作品41-4
・変ニ長調作品30-3
・嬰ハ短調作品30-4
・ト短調作品24-1
・ホ短調作品17-2
・ホ短調作品41-2
・嬰ハ短調作品50-3
・ヘ短調作品63-2
・嬰ハ短調作品63-3
・イ短調作品67-4
・イ短調作品68-2
ヴァレリー・アファナシエフ(ピアノ)(2001.4.23-24録音)

ショパンは戦いの地となった祖国に思いを巡らせ何を想ったのか?
ショパンの魂とアファナシエフの心がひとつに融け合い、音楽を見事に再生する。
祖国の農民の舞踏であるマズルカの、全生涯にわたって生み出されたショパンならではの独自の音楽が、アファナシエフの崇高な解釈によって唯一無二の作品と化す。
そもそも作品17-4に聴く哀しみは一体どこより出でてどこに向かうのか?
ルバートの効く思わせぶりな作品24-1のもだえるような苦悩と透明な希望の混在、アファナシエフならではのピアニズム。作品41-2も、あまりに重く嘆息に溢れる。
そして、ほんの少しの軽さと明るさが随所に明滅する作品50-3は、全盛期ショパンの傑作の一つ。名演だ。
さらに、最晩年の虚ろな世界の鏡ともいえる作品60番台の諸作の、あまりに気高く純白な世界は、これこそがマズルカという舞踏の形を借りた「一種解放のような状態」の示威。一切の不純物が取り除かれた崇高な精神の発露。

 

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