グリモー&ザンデルリンク指揮シュターツカペレ・ベルリンのブラームス協奏曲第1番を聴いて思ふ

brahms_1_grimaud_sanderling347この演奏の不思議な安心感、安定感は、指揮者の懐の奥深さと、それに身を任せながらそれでいて自由に飛翔する独奏者の信頼関係の深さによるものだと思う。第1楽章冒頭のオーケストラ提示から呼吸は深く、音楽がうねる。そして、豪放な管弦楽とがっぷり四つに組み、鳴らされる独奏ピアノの出は音の一粒一粒が立ち、実に美しい。真に地に足の着いた、確信に満ちた響き。

私の場合は、レコーディングしてから演奏しますが、そこから新しいことに取り組むのはいつも困難です。ときには、録音の後に、あらゆる種類の現実から切り離された別の惑星にいるような感じがすることもある。私は、音楽はつねに演奏家よりも大きいと考えています。つねに大きく、つねに強い。
(ききて・文:青澤隆明)
~「レコード芸術」2011年5月号(音楽之友社)P17

なるほど、一種の体外離脱である。あるいは、自分と他とを区別する殻からそもそも脱皮している状態なのだ。だから彼女の奏でる音楽は時に優しく、時に厳しい。続いて、「そういう難しい個性と向き合いながら生きて、かつ自分をしかと保つのは難しいことではないのですか?」という問いに対して彼女は次のように語る。

自分を保つことに関してはノーですが、自分自身をしっかりと地に足をつけておくことについてはイエスです。留まろうと努めるのではなく、作品が私をどこかに連れていくのを幸せに思います(笑)。それは、ときには歓迎すべきことだし、ときには怖ろしい。けれど、いつも素晴らしい冒険だし、音楽とともに遠くに行けるのは豊かな体験になります。帰ってくることに関しては、鍵を回すようなものではなくて、時が自分の側につくのを待つだけです。だから、急ぐ必要もなく、忍耐するのでもなく、ただそれを受け入れます。その経験を注視するのに必要な時間をかけて、もっとニュートラルな地点へと戻るようにする。
~同上書P17

この言葉に膝を打った。まさにかつて彼女が録音したザンデルリンクとのブラームスの演奏に感じた「自由な飛翔」の根拠を彼女自身が語っているのである。そして、あの演奏が優れたものになった理由としてザンデルリンクの力量が大きいのだとわかった(そのことはネルソンスとの新録音と比較してみても明らか)。しっかりと地に足を着けておくことが難しいとするエレーヌに対して、それこそ大地に根を張るように重心の低いザンデルリンク&シュターツカペレ・ベルリンの音!

・ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15
エレーヌ・グリモー(ピアノ)
クルト・ザンデルリンク指揮シュターツカペレ・ベルリン(1997.10.21&22Live)

第1楽章マエストーソ第2主題に聴く愛らしさと浪漫。エレーヌのピアノが歌う。そして、それに優しく寄り添うシュターツカペレ・ベルリンの伴奏。何とも激しく、それでいて恍惚とした時間が支配する。
また、第2楽章アダージョでの静かな祈りは、音楽そのものに包まれるエレーヌ・グリモーの魂の表現。涙を禁じ得ない。
さらに、終楽章ロンドにおける精神の躍動と爆発!!老巨匠との一期一会的パフォーマンスに、実演でこそエレーヌ・グリモーの実力が発揮されるのだと確信する。

「在る」という状態でいる目的は何なのか?あなたがそのような生き方をするとき、あなたは自分や他人、あるいは自分の中に生じる思考に対して価値判断を下すことはなくなる。すると、正しい―間違っている、できる―できない、完全―不完全、プラス―マイナスといったものはなくなってしまう。この瞬間の美を感じ、あじわうことを許さない時間という幻がもはやなくなるのだ。あなたがただ在る状態でいるとき、そこには生命の「在ること」、そして「今」という瞬間の絶え間ない継続性だけがあるのだ。
~「ラムサ・ホワイトブック」(星雲社)P394

エレーヌが言うように、彼女の奏するブラームスを通してニュートラルな地点へと戻るのである。

 

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