バイロン・ジャニスのベートーヴェン作品53&作品109(1954-55録音)を聴いて思ふ

beethoven_21_30_byron_janis348ベートーヴェンに寄り添う。いや、というより、その音楽と一体化しベートーヴェンを直接に感じることの感動と美。
ベートーヴェンの作品が煌めく。彼の作品を敬い、愛する演奏家の手によるものはどの時代の作品であろうと輝かんばかりの光彩を放つ。音楽そのものが内に有する可能性の極致。

例えば、バイロン・ジャニスの弾く「ワルトシュタイン」ソナタ作品53。まったくもって正統な解釈であり、一部の隙もない完全な音楽が鳴り響く。古い録音ながら音の強弱、滑らかなフレージング、そして何より情熱、どの瞬間を切り取ってもとても新鮮で透明なベートーヴェンが映る。第1楽章アレグロ・コン・ブリオに聴く前進性、そして揺るぎない自信。また、第2楽章アダージョ・モルトの沈潜してゆく音楽の深遠な精神性。もちろんそれはベートーヴェンの音楽の力によるものだが、それ以上にバイロン・ジャニスの表現力がものを言う。さらには、終楽章ロンドにおける実に解放的な歌に、未来への希望と今ここにある愉悦を思う。何という幸福感!!
なお、コーダでのオクターヴのスケールはグリッサンドでなくアルペジオで奏される。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第21番ハ長調作品53(1955.5.26-27&1956.2.3録音)
・ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109(1954.11.15-18録音)
バイロン・ジャニス(ピアノ)

晩年のソナタ作品109終楽章アンダンテ・モルト・カンタービレ・エド・エスプレッシーヴォ変奏曲における可憐な主題にベートーヴェンの行き着いた崇高な天国的世界を垣間見る。ここには作品110のフーガや作品111のアリエッタとはまた異なる悟りがある。これより先はもはや現世にはなかった。

1820年頃はベートーヴェンが病に伏し、創作活動もままならなかった時期である。なるほど高雅な美は諦念の裏返しであり、やはり死は生と一体化であることを彼は知る。ちょうど同じ頃に作曲が進められていたのが「ミサ・ソレムニス」作品123。あれほどの峻厳さは持たないものの作品109の根底に流れるものは信仰心であり、生きることの喜びだ。

われらの衷なる道徳律と、われらの上なる、星辰の輝く空!カント!!(1820年)
ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)P174

外なる宇宙(マクロ・コスモス)と内なる精神(ミクロ・コスモス)が結びついていることをベートーヴェンはわかっていたのである。

自然の計画は、人類において完全な市民的連合を作り出すことにある。だからこの計画にしたがって人類の普遍史を書こうとする哲学的な試みが可能であるだけではなく、これは自然のこうした意図を促進する企てとみなす必要がある。
「世界市民という視点から見た普遍史の理念」
カント著/中山元訳「永遠平和のために/啓蒙とは何か」(光文社古典新訳文庫)P61

バイロン・ジャニスの音楽は端整で実に美しい。

 

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