シュナーベルのベートーヴェン 告別ソナタ(1933.4.13録音)ほかを聴いて思ふ

対峙、反論、あるいは逆境。
どうやら内なる良心というものが真の光を獲得したとき、新しいものが生まれるようだ。
協和音も不協和音も、音楽にとって必要な要素であり、一つの作品がそれまでになかった外面を持とうが、そしてどれほど形而上的、哲学的な内容であっても、そこには間違いなく調和がある。

ベートーヴェンはある時期に扉を開かれ、少しずつ光明を捕らえながら常に新しい音楽を創造した。俗世間の喧騒が新しいものを生み出す発火装置になったのだと僕は思う。

1809年のウィーンでは、ナポレオン軍の進軍により、戦争の難を逃れるため皇族たちが都を離れることになった。ベートーヴェンのパトロンであったルドルフ大公然り。
この年創作されたいわゆる「告別」ソナタは、一般には大公との離別と、後の再会をテーマにした作品として認知される。確かにベートーヴェンは自筆譜の第1楽章に「告別—1809年5月4日、ウィーンにて、尊敬するルドルフ大公殿下の御出発に当って」と記し、また、第2楽章には「不在」、第3楽章には「尊敬するルドルフ大公殿下御帰還、1810年1月30日」と書いた。もちろんそのメモ書きをそのまま真っ直ぐ読むのも正しかろう。しかし、ほとんどオープンにはできない自身の内側の「悟りへの道」を他には知られないように記録すべく、暗号の如くに書き記した言葉と捉えることも可能ではないかと僕は空想した。

戦争を背景に、ベートーヴェンは、ルドルフ大公のみならず、すべてのものを一切合切切り捨てる覚悟をしたのである。この変ホ長調ソナタ第1楽章は、アダージョの序奏を持ち、主部はアレグロという指定を持つ。不穏な序奏の後の、明るく軽快で吹っ切れた調子は、まさにその覚悟を表わすよう。第2楽章はハ短調であり、まさに運命の、そして闘争の調性であることが興味深い。ここでベートーヴェンは一旦迷いの中に入る。しかし、終楽章ヴィヴァチッシマメンテの喜びの解放と発散は、神の光明の域に達しており、実に感動的。ベートーヴェンにとって1809年はやはり大いなる変革の年であったと思われる。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第26番変ホ長調作品81a「告別」(1933.4.13録音)
・ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101(1934.4.25録音)
・ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」(1935.11.3-4録音)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)

80年以上前の録音とは思えない、鑑賞に十分耐え得る音。
シュナーベルの奏でるベートーヴェンは、堅牢な枠を維持しながら、内側で「遊び」を絶やさない余裕を持つ。実演に触れることができたなら、さぞかし面白かっただろうにと思う。

後期様式の入口に立つ作品101は、短い第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポの幻想的なコーダの、空ろな響きが素晴らしい。翻って、第2楽章ヴィヴァーチェ・アラ・マルチャは、もはや聴覚を失ったベートーヴェンの、躍動感溢れる歓喜の歌。そして、第3楽章アダージョ,マ・ノン・トロッポ,コン・アラ・アフェットでの、深遠な霧の中から浮かび上がる光の束の高貴さに思わず恍惚となる。

ちなみに、シュナーベルの弾く作品106は、第3楽章アダージョ・ソステヌートが極めつけ。現代的な造形を有しながら、19世紀的浪漫を擁する理想的ベートーヴェンといっても言い過ぎではなかろう。

オラトリオのイエスのアリアのすぐあとに新しい合唱がはいらなければならぬ—トライチュケ—できる、ベルンハルト、音楽。
小松雄一郎訳編「ベートーヴェン 音楽ノート」(岩波文庫)P11

これは、1809年のスケッチ帳で、「告別」ソナタ作品81a第1楽章のスケッチの後に書かれている意味深な言葉だが、(隠れた)名作「かんらん山上のキリスト」出版に当ってのメモ書きらしく、それがまた彼の悟りの道筋を示しているようで興味深い。

 

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