死は(まともに考えれば)ぼくらの生の真の最終目標ですから、ぼくは数年このかた、この人間の真の最上の友にとても馴れ親しんでしまいました。そのため、死の姿はぼくにとって少しも恐ろしいものではなく、むしろ多くの安らぎと慰めを与えるものとなっています!
(1787年4月4日付、ヴォルフガングからレオポルトへの手紙)
~高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P367
このときヴォルフガング31歳。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが見ていたもの、それはきっと僕たち凡人が見ているこの世界とは何かが異なるのだろう。トーマス・マンの「魔の山」の一節を思いながら夜更けに空想した。ヨーアヒムがハンス・カストルプに語る言葉。
みんなとても自由だということさ。・・・ごらんのとおりに、みんな若いだろう。時間なんか問題にしないし、それにへたをするとみんな死ぬかもしれないしね。真面目くさってみたところではじまらないというわけさ。ぼくはときどき考えるんだ、病気や死なんてものは、本当は厳粛なことじゃなくて、むしろぶらぶら歩きで暇潰しをするなんてことと同じものなんじゃないだろうか。厳粛なんてことは、厳密にいえば、下界の生活にだけのあるもんじゃあるまいかってね。君だってもう少しここで暮してみたら、それがだんだんとわかってくると思うんだ。
~トーマス・マン作/高橋義孝訳「魔の山・上巻」(新潮文庫)P109-110
死に直面する人は強い。聖なるものは実は俗なるもので、その逆も真なり。
モーツァルトの世界観はまさにそこにあった。特に晩年の、明るさの中にある暗澹(苦悩)、そしてまた仄暗い音調にある明朗さ。
11月4日の火曜日に、ぼくは当地の劇場で音楽会をします。―それにシンフォニーを一曲も持ち合わせていないので、大急ぎで新作を書いていますが、そのときまでに、これを仕上げなくてはなりません。
(1783年10月31日付、モーツァルトから父レオポルト宛)
~同上書P338
短い期間に生み出された「リンツ」交響曲の奇蹟。
モーツァルト:
・交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」(1959.10録音)
・交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」(1966.2録音)
・交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」(1959.10録音)
カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベームのモーツァルトには安定感がある。それが逆に面白くなくさせる原因でもあるのだが、ある意味永遠の、普遍の真理がここにあろう。「リンツ」交響曲の冷たい熱気。ライブのベームは底知れぬエネルギーを発したが、スタジオのベームは極めて冷静だった。
そして、「プラハ」交響曲の雄渾。ただし、第2楽章アンダンテは柔らかい。モーツァルトが最も充実していた時期の傑作。ここには「自由」がある。時空を超えてモーツァルトが悲しみ、喜び、ベームはそれに寄り添うように音楽を創り出してゆく。
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熱帯魚飼育の趣味では「グッピーに始まりグッピーに終わる」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC#.E6.A6.82.E8.AA.AC
という名言があり、
鳥の飼育の趣味では「ジュウシマツに始まりジュウシマツに終わる」
https://www.zoology.or.jp/kantou/index.asp?patten_cd=&page_no=28#5
という言葉もありますが、
私にとって、ベームのモーツァルトは、グッピーやジュウシマツと似たようなところがあります(笑)。
>雅之様
さすがにベームの最後の来日の「フィガロ」を実演で聴かれているだけあり、「ベームに始まりベームに終わる」わけですね!そんな風に断言できる雅之さんが羨ましいです。
あー、僕もあのときの「フィガロ」や人見記念講堂でのベートーヴェンに触れたかったです!