オッコ・カム指揮ラハティ交響楽団シベリウス・サイクル交響曲第3番&第4番ほか

sibelius_kamu_lati_20151127386人間の身体の大部分が水で、しかも人間は空気を取り込んで生命を維持しており、最後は土に還るのだとふと思った。
何と瑞々しい音楽。そして、何と土着的で(それは決してイデオロギー的な意味でなく)大地に足の着いた音楽であることか。
そもそも楽器の成り立ちを見よ。弦楽器も木管楽器も打楽器も、すべて生きとし生けるものから生み出されたもの。風がそよぎ、木々がうなり、動物は踊り、植物は息吹くのだ。

ジャン・シベリウスの音楽は真に美しい。特に、第3番以降の、魂を揺さぶる静謐な音楽は、それまでのどんな作品とも異なり、またそれ以降創造されることのなかった孤高の世界。心が満たされた、そして魂が揺さぶられた。
この人の音楽も実演を聴かねば絶対に真髄はわかり得ないだろう。

足を悪くしているのか、袖から舞台に出る際の歩き方がぎこちない。
当然指揮台には椅子が用意されていた。徐に腰かけて、3番目の交響曲の指揮を始めた時のオッコ・カムの優雅さといったら・・・。
低弦から高弦に移りゆく中で、木管が美しく響き、そこに金管の咆哮が被さる様。
この室内楽的な音響の中にあるシベリウスの素晴らしさ。自然があり、鳥が鳴き、木々がざわめく中、人間の感情がその端々に錯綜する。そのバランスの見事さ・・・。

ペッテリ・イーヴォネンをソリストに迎えたヴァイオリン協奏曲の魂の内燃に痺れた。
ともするとオーケストラの大音響に埋もれがちのヴァイオリン独奏が、終始バランス良く鳴った。そして、あまりに熱のこもった、エネルギーが内側に凝縮された音楽に惹きつけられた。何という芯のある音!特に、第1楽章のカデンツァにおける技巧と感情が静かに爆発する様子に息を飲んだ。
なるほど、イーヴォネンも一旦溜め込み、そして一気に解放するタイプのヴァイオリニストなのか・・・。そのことはアンコールのイザイにも十分反映されていた。凄かった。

生誕150年記念シベリウス交響曲サイクル
2015年11月27日(金)19時開演
東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアル
ペッテリ・イーヴォネン(ヴァイオリン)
オッコ・カム指揮フィンランド・ラハティ交響楽団
シベリウス:
・交響曲第3番ハ長調作品52
・ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
~アンコール
・イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品27-3「バラード」
休憩
シベリウス:
・交響曲第4番イ短調作品63
~アンコール
・悲しきワルツ作品44-1
・ミュゼット~組曲「クリスティアンⅡ世」作品27
・鶴のいる風景作品44-2

休憩後の第4交響曲。これは空前絶後の傑作だとあらためて痛感した。
死の恐怖に直面したシベリウスが決死の覚悟で創造した、生への憧憬と希望が刻印された金字塔。
オッコ・カムは前半2つの楽章と後半2つの楽章を分断する。
第1楽章は沈思黙考するシベリウスの自画像。過去を見つめ、未来を想像し、病に倒れた今を直視するがゆえ、音楽はどこか痛々しい。それでも、苦悩を払拭し、立ち直らんとする作曲者の意志が、明るく爽やかな一陣の風をもたらし、ようやく人間の命が自然とひとつなのだと気づく。それが第2楽章。木管奏者の各々の技量に感動。
一呼吸置き、振り下ろされた棒から編み出された第3楽章の静けさ・・・。この晦渋な音楽の意味深さは、それこそカム&ラハティの魔法。また、間髪入れず奏された終楽章は本日の白眉。死を凌駕し、再生するかの如くの覇気。愉悦と軽快さに彩られた生命の物語。何よりチェロ独奏による美しい旋律に涙した。

ちなみに、アンコールは3曲。
あくまで僕の個人的な見解だが、今日に限っては、アンコールはなくもがな。
第4交響曲の、あの儚い何とも表現し難い終止で終わっておいて欲しかったから。

ところで、本日の東京オペラシティコンサートホールはほぼ満員。
シベリウスの中期の交響曲でこれだけ人を動員できるというのに正直吃驚。
最終回(第5番~第7番)は何とソールドアウトですからね。世の中の嗜好は随分変わりました。それとも時代がシベリウスに追いついた?

 

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3 COMMENTS

雅之

最高のシベリウス体験をされてますね! 羨ましい限りです。

本題を外れますが、以前には尾高&札響のシベリウスチクルスも聴きに行かれたようですが、やはり今回の本場のオケや指揮者は違いますか?
あと、札響についていえば、一度Kitaraでの公演を聴かれることをぜひお勧めします。
あのホールでの札響は、アウェーである東京公演での音と明らかに異なっていますので・・・。

ところで、第4交響曲の終楽章のグロッケンシュピール(鉄琴)が、作曲者の意図通りグロッケン(チューブラーベル 鐘)だったら、だいぶ華やかになり、聴いた後の印象が変わりますが、特にクリスマスシーズンには、他の演奏と差別化する意味で、チューブラーベルでやっても面白いかも、です。別にフィンランドだからではないですが、少しだけサンタクロースがやってきそうな気がしませんか?(笑)。

私は、家でシベリウスの4番に近い静寂を味わいたい時、よく聴く(秘蔵の)CDに「究極のゆらぎ~癒しの鐘~ 小馬崎達也」 があります。

http://www.amazon.co.jp/%E7%A9%B6%E6%A5%B5%E3%81%AE%E3%82%86%E3%82%89%E3%81%8E~%E7%99%92%E3%81%97%E3%81%AE%E9%90%98~-%E5%B0%8F%E9%A6%AC%E5%B4%8E%E9%81%94%E4%B9%9F/dp/B000EF5VEQ/ref=sr_1_1?s=music&ie=UTF8&qid=1448661688&sr=1-1&keywords=%E9%90%98

このCDはシベリウスのと並んで絶対に捨てられません(笑)。ほとんどおリンの音だけの世界なんですが・・・それがまたいいんです。
http://www.mt8.ne.jp/~pangaea/kyujohensyo_yuragi.htm

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岡本 浩和

>雅之様
オッコ・カムのツィクルスは本当は全回とも行きたかったのですが、仕事などの関係で昨日しか行けませんでした。しかし、3番と4番という組み合わせの日で良かったですよ。
最高でした。

ちなみに、尾高&札響は全曲聴きましたが、あれも本当に素晴らしかったです。
比較はできないですが、昨日のラハティ響は実に透明感のあるオーケストラで、プレイヤー個々の技量も高く、とても見通しが良かったことが作品理解を一層後押ししてくれました。
シベリウスもショスタコと同様視覚が大事ですね。聴くというより観るという感じです。
札幌のKitaraでシベリウスはいつか聴いてみたいですね。

それとご指摘のグロッケンですが、今回もグロッケンシュピールでの演奏でした。
グロッケンでの演奏を観たことがないのでどこかで遭遇しないものかと思っているのですが、なかなかないですよね。おっしゃるように、クリスマス・シーズンですから今回も少しばかり期待しておりましたが・・・。

それにしても雅之さんは面白い音盤をお持ちですよね。
前から思っておりましたが、
どこからこういうものを探し、手に入れるのか不思議で堪りません。(笑)

ありがとうございます。

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