ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ響のシベリウス「タピオラ」(1995録音)ほかを聴いて思ふ

sibelius_tapiola_jarvi_gothenburg390大宇宙、大自然、そして信仰。
その媒介としての神話。
ジャン・シベリウスの内なる声に耳を傾ける。そこからは人智を超えた魂の叫びと囁きが聴こえるよう。

交響詩「エン・サガ」におけるホルンとチェロによる主題の勇ましさ。民族色豊かな、いかにもシベリウス的なその旋律に不思議な懐かしさを覚える。ここには「クレルヴォ交響曲」の成功で名声を得たシベリウスの自信と恐れを知らぬ若き作曲家の挑戦がある。
19世紀末の、ロシア帝国の属国であった祖国の独立に向けての闘いと苦悩。
彼の音楽の奥底にはそういうものが自ずと刻印される。
後半のクライマックスに向けての意気揚々たる音響は、ヤルヴィ&エーテボリ響の真骨頂。

また、改訂に改訂を重ねられた交響詩「春の歌」も、北欧の夜明けを告げるべく生み出された明朗な音楽であり、内から湧き出る哀愁に心震える。

例えば「クレルヴォ」の演奏禁止、オペラ「船の建造」の構想と失敗、「エン・サガ」や「レンミンカイネン組曲」の大幅な改訂、交響詩「フィンランディア」(1899他)に対するロシア帝国によるフィンランド国内での演奏禁止措置、さらに交響詩「森の精」(1894)とオペラ「塔の中の乙女」(1896)の蘇演におよそ一世紀の歳月を経ていることも、当時の作曲者の精神的苦悩を窺うことができる。
(神部智「ジャン・シベリウスと民族叙事詩『カレヴァラ』」)
~FINLANDIA日本シベリウス協会20周年記念特別号「シベリウス受容のいま」P36-37

シベリウス:
・交響詩「エン・サガ」作品9(1992.12録音)
・交響詩「春の歌」作品16(1994.5録音)
・劇音楽「クオレマ(死)」より(1995.5録音)
―悲しきワルツ作品44-1
―鶴のいる風景作品44-2
―カンツォネッタ作品62a
―ロマン的ワルツ作品62b
・交響詩「吟遊詩人」作品64(1994.5録音)
・交響詩「タピオラ」作品112(1995.8録音)
ウルバン・クレソン(クラリネット)

ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団

先日のコンサートで聴いたオッコ・カム&ラハティ響の「悲しきワルツ」と「鶴のいる風景」の美しくも柔らかな旋律を思い出す。
それにしてもヤルヴィ&エーテボリ響の弦楽器の深みのある音色とそこから浮き出る木管群のかそけき響きに涙する。

そして、「吟遊詩人」前半部の煌めくハープと甘い弦楽器の調べのあまりの静謐さに感激し、後半部の爆発しながらも内省的な音楽に感動。
極めつけは、やはり「タピオラ」!!
繰り返し現れる「森の主題」の荘厳さ。人間感情を超え、そこには自然と神々だけが描かれる。あるいは木管によって奏される「タピオの主題」の哀しみと愛らしさ。

大きく拡がるようにそれらは立つ、北国の夕闇の森は、
古代の、神秘的で、野性の夢をはぐくむ、
それらの中に森の力強い神が住む、
そして暗がりの中に、森の魂が魔法の秘密を識る。
マッティ・フットゥネン著/菅野浩和訳「シベリウス 写真でたどる生涯」(音楽之友社)P76

「タピオラ」のスコアの巻頭に置かれたこの4行詩こそシベリウスの祈りと信仰の証。

 

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2 COMMENTS

雅之

「タピオラ」は、深くゆったりした曲に聞こえますが、
曲想指定の全体を見ると、
ラルガメンテ⇒アレグロ・モデラート⇒アレグロ⇒アレグロ・モデラート⇒アレグロ
で、その昔、初めてスコアを眺めた時、
じつに意外で不思議な感想を持ちました。

第8交響曲として全然問題ない、傑作中の傑作でしょうね。

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岡本 浩和

>雅之様
実に意外ですね!
「タピオラ」のスコアは見たことがないので吃驚です。
確かこの曲はシベリウス自身初演にも立ち会っていないし、実演では聴いたことがなかったのでは?(記憶が曖昧で確かではないですが・・・)

間違いなくゆったりした感じなので、指揮者の解釈そのものがスコア通りのテンポを選ばないのが通例になっているってことでしょうかね・・・。興味深いです。

これを第8と呼んでしまうのもありなのですが、それでも破棄された真の第8がずーっと気になって気になって・・・。(笑)

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