ポンティのスクリャービン全集から2つの詩曲作品32ほかを聴いて思ふ

scriabin_pontiアレクサンドル・スクリャービンの死も突然だった。
神秘劇の序幕を構想中の彼には、準備半ばのままあまりに唐突に、あまりに早く「その時」は訪れた。
レオニード・サバネーエフの、スクリャービンの死の顛末の描写の凄まじさ。

「ただねえ、今はここが痛みます」と胸を示した。「確かにずきんずきん痛みます。今までこんなことはなかった、これは一体何を意味するのだろうか?」と、突然彼は心配し始めた。
(中略)

「あぁ、耐え難い痛み!」と突然の大声。「まるで貫通するような」と言う彼の顔はもう真の苦痛を現した。
「これが続いたら、明日までもたない!」と突然言った。「耐えられない!」。タチヤーナがきて、彼を落ち着かせようとした。だが彼はさらに一層不安そうにした。
レオニード・サバネーエフ著/森松皓子訳「スクリャービン―晩年に明かされた創作秘話」(音楽之友社)P273

作曲者の内にある執念と諦念と・・・、あらゆる思念が錯綜しながら静かに世を去って行った彼の壮年から晩年にかけてのピアノ音楽の何という輝き・・・。
何という仄暗い情念!!

スクリャービン:ピアノ音楽全集から
・2つの詩曲作品32(1903)
・悲劇的詩曲作品34(1903)
・悪魔的詩曲作品36(1903)
・詩曲変ニ長調作品41(1903)
・2つの詩曲作品44(1904)
・3つの小品作品45(1904-05)
・スケルツォハ長調作品46(1905)
・3つの小品作品49(1905)
・ワルツ変イ長調作品38(1903)
・ワルツ風にヘ長調作品47(1905)
・2つのマズルカ作品40(1903)
・4つの小品作品51(1906)
・3つの小品作品52(1907)
・4つの小品作品56(1907)
・2つの小品作品57(1907)
・アルバムの一葉作品58(1910)
・2つの小品作品59(1910)
・詩的夜想曲作品61(1911-12)
・2つの詩曲作品63(1911-12)
・2つの詩曲作品69(1912-13)
・2つの前奏曲作品67(1912-13)
ミヒャエル・ポンティ(ピアノ)

テクニックは申し分なく、もちろん表現力も抜群。
その上で、ポンティは、スクリャービンの想いをまるで代弁するかのよう。
すなわち、ここには生への執着と未来への希望がある。

ちなみに、神秘劇序幕の台本には次のようにあるそうだ。

またしても無限が自分を感知する、
自分を無限が、最終的に認知する。
無限が世界を呼吸している、
響きが静寂を抱擁している。

ここでは誕生の響きが鳴る。前に弾いたでしょう、覚えていらっしゃいますか?ですが私の詩には休止がある。こんな事は詩歌ではこれまでなかった。詩人たちは、正確な休止が何であるかを知らない。あなたはご存知だが、詩人には説明しなければなりませんでした。
~同上書P261

スクリャービンは魂が死なないことは当然知っていた。
それでも、肉体なくしてこの世に自身の生きた証を残すことは不可能。序幕が完成できなかったことはさぞかし無念だったろう。

 

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2 COMMENTS

雅之

スクリャービンについては、興味を持ち聴いた時期が少しだけありましたが、いまいち私にはピンと来ず、その後感心が薄れてほとんど聴くことはなくなりました。なので、とても勉強になり感謝します。

>またしても無限が自分を感知する、
>自分を無限が、最終的に認知する。
>無限が世界を呼吸している、
>響きが静寂を抱擁している。

この言葉から別なピアノ曲で対抗するなら、第一感ではシューマンかドビュッシーの「アラベスク」かな?(笑)

・・・・・・アラベスク(arabesque)は、モスクの壁面装飾に通常見られるイスラム美術の一様式で、幾何学的文様(しばしば植物や動物の形をもととする)を反復して作られている。幾何学的文様の選択と整形・配列の方法は、人物を描くことを禁じるスンニ派のイスラム的世界観に基づいている(シーア派ではムハンマドを除いて描くことは認められている)。ムスリムにとってこれらの文様は、可視的物質世界を超えて広がる無限のパターンを構成している。イスラム世界の多くの人々にとって、これらの文様はまさに無限の(したがって遍在する)、唯一神アラー(イスラムで言う無明時代では「アラート」という女神)の創造のありのままを象徴する。さらに言うなら、イスラムのアラベスク芸術家は、キリスト教美術の主要な技法であるイコンを用いずに、明確な精神性を表現しているとも言えよう。・・・・・・Wikipedia「アラベスク」より

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岡本 浩和

>雅之様
なるほど!スクリャービンの詩からアラベスクを連想されるとはさすが雅之さん!
それにしてもスクリャービンがいまいちピンと来なかったというのは意外でした。

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