アルバン・ベルク四重奏団のベルク「抒情組曲」ほか(1974.4録音)を聴いて思ふ

berg_abq_1974412教わり、徹底的に精進し、そして最後は独自の世界に足を踏み入れねばなるまい。
何事も自身の「方法」を確立してこそ。
アルバン・ベルクがアーノルト・シェーンベルクに師事し、作曲家の道を歩み始めたのは1904年、19歳の時。その何年か後、彼が最初の弦楽四重奏曲を生み出した際、師は驚きを隠せなかったという。
革新的でありながら緻密に計算された形。まるでベートーヴェンが最後のピアノ・ソナタで成そうとした同様のことをかの青年はまったく異なった視点でやり遂げたのである。

ベルクがその後、私と一緒にどのように仕事を進めたのか、よくおぼえてはおりません。しかし次の一つのことだけはたしかです。つまり私は彼の弦楽四重奏曲(作品3)を見て、その充実した自由な音楽言語、力強く確実なその言語の呈示、丹念な仕事ぶり、意味深い独創性などに、信じられないほど驚かされたのです。
~船山隆(ライナーノーツ)

その間わずか5年ほど。その名を冠した弦楽四重奏団の鮮烈なデビュー・アルバムの1曲としてアルバン・ベルクのその音楽が選ばれた。幾度聴いてもその斬新さ、そして斬ると血が滲み出るような有機性に舌を巻く。何という鋭利さ、それでいて何というふくよかさ。

シェーンベルクの価値、そしてさらに多くヴェーベルンの価値が否定されていたあの困難な時期に、ヴィーン楽派のうちで正当化し得るものとして許容されていた唯一の作曲家は、ベルクでした。彼が「人間的」であり、「音楽を書いている唯一の人」であり、「表現」というものに専念した人だから、などという理由からです。
ピエール・ブーレーズ/店村新次訳「意志と偶然―ドリエージュとの対話」(法政大学出版局)P25

ブーレーズが語るように、無調であろうと十二音技法であろうと、彼の音楽のうちには常に美しい音楽があった。

ベルク:
・弦楽四重奏曲作品3
・弦楽四重奏のための「抒情組曲」
アルバン・ベルク四重奏団
ギュンター・ピヒラー(第1ヴァイオリン)
クラウス・メッツル(第2ヴァイオリン)
ハット・バイエルレ(ヴィオラ)
ヴァエンティン・エルベン(チェロ)(1974.4録音)

熱に浮かされたような、世紀末退廃を含んだエロスの宝庫。一方で、想像を絶する頭脳明晰な歌。アレクサンドル・ツェムリンスキーからの、そしてリヒャルト・ワーグナーからの引用が示すように、「抒情組曲」は「愛」という概念が通底するといわれる作品だが、それを完璧な計算の中で創造するところがベルクの天才。
また、それに輪をかけるように、デビュー当時のアルバン・ベルク四重奏団の表現は極めて直截的で曖昧なところが一切ない。

人生というのはフェイドアウトでなく、ある日あるとき突然途切れるものだ。
あっけなく終わる終楽章「悲嘆のラルゴ」を聴いて思った。
おそらくベルクも、自身の死を予期せぬまま、ある日突如として命を奪われたようなものだったのだろう。悔恨の念を残しつつ。
アルバン・ベルク死してちょうど80年・・・。祈りを捧ぐ。

 

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2 COMMENTS

雅之

ふと思ったんですが、アルバン・ベルクが12月24日に亡くなったという事実は、十二音技法の先に二十四音技法の可能性が潜んでいることを暗示してるんじゃないでしょうか。その先には四十八音技法、そのまた先には九十六音技法があって・・・でも、もしその音楽を楽しめたら、もはや人間ではなく宇宙人でしょう(笑)。

不穏な時代に、十二音に平等で主従関係が無い音楽が生まれたのは、共産主義革命を想起します。理想の旗印と庶民の幸福感とのギャップや、その後の挫折・衰退もよく似ています。

だからといって、もっと平等なアナーキーな状態になると、もはや人類の社会秩序は成り立ちません。

そこで、「憧れの自由とは何か」と、アルバン・ベルクの享年を過ぎた我が身についてまた見詰め直すのでした。

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岡本 浩和

>雅之様

>十二音技法の先に二十四音技法の可能性が潜んでいることを暗示してるんじゃないでしょうか。

その発想素晴らしいと思います。人間が感知できる限界があるということは、やっぱりある「枠」がないと社会は成り立たないということですかね。

>「憧れの自由とは何か」

今後の課題といたします。

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