僕は好きが高じて「早わかりクラシック音楽講座」なるものを主宰しているが、ここのところいくつかの市民講座にも招ばれるようにもなり、趣味もこの域まで行くと大したものだと少々自画自賛(笑)。今のところまったくビジネスにはなっていないけれど、この講座のお陰で世の中には専門的にではなく、普通にクラシック音楽の聴き方を知りたいと思っていらっしゃる紳士淑女が多いんだということがよくわかり興味深い(ということで、ここは一肌脱ぐぞと気合十分・・・笑)。
そんなことを考えて思い出したのが、ギルバート・キャプランのこと。米経済誌「インスティテューショナル・インベスター」創刊者にして実業家であり、そしてマーラーの「復活」交響曲の専門家。この「復活」のみを趣味で研究し、この音楽だけのためにオーケストラを自費で雇い演奏。1回だけのつもりが、あまりに評判が良く、世界中のあらゆる楽団から招聘され、「復活」を演奏、揚句はかのウィーン・フィルハーモニーと録音セッションまでやってのけるというのだから畏れ入る(彼が実業家で、金持ちの道楽だという意見もあるが、そこは横に置いておく。それに彼がそもそも「復活」に興味を持つようになったきっかけは、1965年にカーネギーホールでレオポルド・ストコフスキー&アメリカ交響楽団の「復活」交響曲の実演を聴き感動したことだと知り、このところの話題からますます面白くなる。またストコフスキーか・・・笑)。
実現する事の大小は別にして、好きなこと、やりたいことは絶対にやった方が良い。そして、誰に何と言われようと「続けること」。
ということで、キャプランの「復活」交響曲。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
ラトニア・ムーア(ソプラノ)
ナージャ・マイケル(メゾ・ソプラノ)
ウィーン楽友協会合唱団
ギルバート・キャプラン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
まずこのSACDの特長。作曲家の指示(第1楽章の後に少なくとも5分以上休みをとることという指示)に従って1枚目には第1楽章のみ収録、第2楽章以降は2枚目にという分け方。何でもないことだが、こういう拘りが素敵(他の「復活」のCDを逐一調査したわけではないが、少なくとも僕の所有のものではこれだけ)。
で、肝心の演奏は。もちろんウィーン・フィルの力量あってのものだろうが、とてもアマチュアとは思えない堂々たるもの(否、これだけ指揮を重ねていれば少なくとも「復活」に関してはもうアマチュアとは呼べないだろう)。特に、第5楽章の合唱が入ってくるあたりからがこの作品の真骨頂だと僕は思うのだが、「復活」好きらしからぬ冷静さで、大局観を見失わず客観的、その意味ではクライマックスの熱さに欠けるのだけれど、それは彼がアマチュア音楽家ではなく、アマチュア研究者であることの証だと考えればとても理解できること。おそらく実演で聴いたらば、感動は大変なものだろう。良くも悪くもメカニカルというのがこの演奏の特長だろうか(決して貶しているのではないです。こんなにもクールな「復活」交響曲に初めて聴いたときには心底感動したもの)。
おはようございます。
キャプランの「復活」SACDいいですよね!
>とてもアマチュアとは思えない堂々たるもの(否、これだけ指揮を重ねていれば少なくとも「復活」に関してはもうアマチュアとは呼べないだろう)。
そうですよね。アマとプロの境界線、定義って何なのでしょうね。
ウィキペディアによると、
アマチュア(英語:amateur)とは、「(1)特定分野において、他の一般人よりも知識や経験を有しているが、(2)それを基にした営利活動する為の資格を有さず、(3)資格を有した者からすると未熟者で、その労力が報酬を求めるに値してないと判断されるような者など」を指す。当該分野における活動の動機づけを形づくる精神活動が趣味性、規範性などを中核とする場合、これを汎くアマチュアリズムと呼ぶ。これをして活動の信条又は集団の綱領とする場合は知識や技術に関係なくアマチュアに分類される。略して「アマ」とも呼ばれ、日本語だと漢字表記で『素人(しろう)』とも表される。
また対(つい)に成る言葉で『玄人(くろうと)』が有り、英語だと『 Professional(プロフェッショナル) 』に値するが、職能人や職能集団とされるProfessionalの仲間内で、その技能が未熟だと「お前は、アマチュアだ!(技能価値が無いのだから、技能報酬を求めないアマチュア活動に等しい」)」と愚弄(ぐろう)されたり、揶揄(やゆ)に冷やかす言葉としても使われる。
しかし近年では、このWikipediaの編集や、あらゆる分野でアマチュア(素人)研究者、活動者を含む報酬を求めない労力の提供によって文化が発展している部分もあり、20世紀において理論と実務の間で大きな役割を果たしている。その事実から、特に無線(無償で災害時における通信活動、アンテナの開発が行われている)や、パーソナルコンピュータの発展(LinuxなどOSやフリーウェアの開発)において顕著。その経緯から前記分野では、アマチュアの存在に対して敬意を払う観点もある。
また「無償で活動する者達の全てを、アマチュアと表するのか?」と言う観点では、奉仕活動なども含まれる部分が疑問視をされ、「無償活動する者であっても、高度な知識、技術を労力として提供したり、仮に報酬を求めれば、相手から相応の代価を得られるであろう者に付いては、プロフェッショナルの分類に入る」と定義される傾向にある。更に語源がラテン語の『 Amator 』であって、愛好家とも訳されることから「特定の物事へと愛好的に活動する者」を意味する傾向が強い。
よって、「アマチュアは、特定分野への愛好心から必然的に得られたであろう知識や技能を有している者であり、それが他の一般人よりも長(た)けていると言う程度の者で、その労力に対して代償を求めれば相手が応じるであろう能力者や、営利活動を目的に知識や技能を習得したProfessionalと異なる存在」として定義するのが適当である。・・・・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2
岡本さんのクラシック音楽についての啓蒙活動は完全にプロの範疇ですが、それに時々ツッコミを入れる私は一介のアマです(笑)。
プロでも、アレクサンドル・ボロディン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3
のように、ある時は化学者、またある時「日曜作曲家」という生き方に、私はとても憧れています(岡本さんも「日曜音楽評論家」ですかね?・・・笑)
一日24時間、音楽のことだけを考えているという音楽のプロの人生には、大して憧れていません。
ボロディン 交響曲第2番 カルロス&エーリッヒ・クライバー
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1810951
プロの指揮者の中でも、気が向いた時だけ自分がこだわるレパートリーで、じっくり時間をかけて仕事ができた、カルロス・クライバーみたいな生き方は、じつに羨ましいなあ。
>雅之様
おはようございます。
>岡本さんのクラシック音楽についての啓蒙活動は完全にプロの範疇ですが、それに時々ツッコミを入れる私は一介のアマです
何をおっしゃいますか!僕はもちろんアマですし、雅之さんのプロ級の突込みがあってこういうブログも成り立っているのですよ!
>一日24時間、音楽のことだけを考えているという音楽のプロの人生には、大して憧れていません。
同感です。
カルロス・クライバーのような生き方、理想的ですね。
ありがとうございます。
こんばんは。 ブログでは初めましてです。
ストコフスキー好きのヤマザキです。八王子での市民講座お疲れさまでした。
キャプランは以前の集まりの時話題に出ましたが、あまり詳しく知りませんでした。
ストコフスキーが関連していたのですね。一度聴いてみたいです。
>1枚目には第1楽章のみ収録、第2楽章以降は2枚目にという分け方。何でもないことだが、こういう拘りが素敵(他の「復活」のCDを逐一調査したわけではないが、少なくとも僕の所有のものではこれだけ
またストコフスキーですが以下LSOとのCDは1枚目1楽章、2枚目2~5楽章+リハーサルになっています。(タワーRの表示はリハーサルが1枚目になっていますが、実際には5楽章のあとに収録しています。但しLPの復刻なので同様の拘りがあったかは不明。)
http://tower.jp/item/tracks/473542
>ヤマザキ様
おはようございます。
こちらこそ先日の講座にご来場くださいましてありがとうございました。
あくまで入門者向けのものでしたので、ヤマザキさんにとっては物足りないものだったのではないでしょうか。
マニア向けの講座など本当はやりたいところですが、それだと人が集まりません(笑)
>ストコフスキーが関連していたのですね。
そうなんです。キャプランがストコフスキーの実演を聴いてああなったということは、やっぱりヤマザキさんがおっしゃるように追っかけ甲斐のある音楽家なんだろうと思います。この「復活」は素晴らしいですので是非聴いてみてください。
あと、ストコフスキーの情報をありがとうございます。興味深いです。聴いてみます。