満月の聖夜は38年ぶりだという。
大自然は神であり、神とは愛そのもの。
片や凝縮された、一部の隙も無い傑作。片や拡散の代名詞たる神への畏怖を描いた名作。
表裏一体。
2つの正反対の音楽が同時に生み出された奇蹟。
息子カルロスの、ウィーン・フィルとの名盤とされる録音が果たして色褪せるほどの大変な熱量。親父の背中を見て育った子が、偉大な音楽家を超えられないという恐怖(畏怖)に苛まれ、年を取るにつれレパートリーを極端に絞り込み、自信のある作品だけしかステージにかけなかった理由がわかるというもの。
何という第5交響曲!!
第1楽章アレグロ・コン・ブリオから、テンポは速いが、重戦車の如く。第2主題の柔らかさはコンセルトヘボウならではの音色か。コーダでのうねり、畳みかけてゆく主題の壮絶さ。
また、第2楽章アンダンテ・コン・モートにおける清廉な音楽と激烈な音楽の見事な対比。
さらに音楽は、楽章を追うごとに白熱する。
第3楽章アレグロ冒頭、低弦から沸き立つ不気味さ、おどろおどろしさ。
色艶感じられる終楽章へのブリッジの部分を経て一気に解放されるアレグロ楽章の興奮。冒頭から最後までティンパニが激烈な響きをもたらし、この演奏を一層劇的なものにしていることに感動。コーダに向けての突進に心躍る。
ベートーヴェン:
・交響曲第5番ハ短調作品67
・交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
エーリヒ・クライバー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1953.9録音)
続く「田園」交響曲はこれまたアナログ時代からの僕の愛聴盤で、颯爽としたテンポでありながらどの瞬間も慈愛に満ちるエーリヒならではの名演奏。
第1楽章「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」における、標題通りの目の覚めるような軽快さと愉悦。
第2楽章「小川のほとりの情景」でのフルートをはじめとする木管群のとろけるような美しさ、そして、旋律を歌い、静けさを強調した優しさ溢れる音楽づくり。
また、後半3つの楽章はますます熱を帯びる。第3楽章「田舎の人々の楽しい集い」のその名の通り人間らしく温かい響きと、第4楽章「雷雨、嵐」における自然の猛威を描く管弦楽の怒りの調べ。
何より終楽章「牧歌、嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」の天国的な美しさ!!
特に、コーダ手前の頂点における宇宙的解放は他にない素晴らしさ。同様に、コーダでの想いのこもった祈りもエーリヒ・クライバーの真骨頂。
まさに父クライバーの見事な音楽を克明に刻む(中低音までしっかりとした自然な音)当時のデッカの録音陣の成せる業というところか。後世に語り継がれるべき名演奏のひとつであると思う。
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ベートーヴェンの弟子であった(ピアノの教則本で有名な)カール・ツェルニーによると、第5交響曲冒頭のモティーフに関して、虚言癖なあったシンドラーの証言「運命が扉を叩く音」ではなく、「ベートーヴェンがウィーンのプラーター公園を散歩している時に聴いたキアオジという鳥の鳴き声をヒントに思いついた」と証言しているそうですね(佐伯茂樹 著「名曲の暗号」音楽之友社 より)。
知識としてはご存知だと思いますが、YouTubeで実際の囀りを確認してみました。
https://www.youtube.com/watch?v=JwpWX25IlJk
「キキキキキキキキピー」と鳴き、最後のピーが下がる(確かに、曲のように短三度っぽい)。
>大自然は神であり、神とは愛そのもの。
同感です。モーツァルト生誕200年の日、エーリヒ・クライバーが1956年1月27日にチューリヒで急逝したのも、神の采配かもしれませんね。
>雅之様
貴重な情報をありがとうございます。キアオジの鳴き声ははじめて聴きましたが、いまひとつ僕にはよくわかりません。ただベートーヴェンが自然界からインスピレーションを得ているだろうことは想像に難くありません。
>モーツァルト生誕200年の日、エーリヒ・クライバーが1956年1月27日にチューリヒで急逝したのも、神の采配かもしれませんね。
あー、これは気づかなかった。なるほど確かに!
ありがとうございます。