感無量。
この壮絶な協奏曲を聴いて、20世紀の喧騒と不穏な空気あってこその芸術だと再認識した。
穏便で平和なときにこういうものは生まれ得ない。
安寧を脅かす苦悩や闘争があるがゆえの負の美学。東洋的精神と西洋の合理的方法が折り重なって創出された矢代秋雄の傑作。
冒頭、至純のピアノが煌めく。
まるで透明な水の如く。
音楽は咆哮し、そしてまた沈黙する。決して止むことのない流れはいよいよ音楽を有機的なものに導く。なるほど、旧ソヴィエト連邦のアンドレイ・タルコフスキーの映像のように、静謐な音と爆発的な怒声と・・・、変拍子の中で強靭な打楽器的ピアノと艶めかしいオーケストラの錯綜。音楽は終始踊り狂った。
不思議にも僕の感性とシンクロした。
矢代の協奏曲の感慨に耽り、そんなことを考えていたとき、トーマス・ヘルがアンコールを弾き出した。何とそれは、バッハの「オルゲル・ビュヒライン」からブゾーニ編曲による「我、汝を呼ぶ、主イエス・キリストよ」BWV639!!!素晴らしかった。
新日本フィル第559回定期演奏会(トリフォニー・シリーズ)
2016年5月27日(金)19時15分開演
すみだトリフォニーホール
トーマス・ヘル(ピアノ)
東京藝術大学合唱団
豊嶋泰嗣(コンサートマスター)
下野竜也指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
・三善晃:管弦楽のための協奏曲(1964)
・矢代秋雄:ピアノ協奏曲(1964-67)
~アンコール
・J.S.バッハ=ブゾーニ:「我、汝を呼ぶ、主イエス・キリストよ」BWV639
休憩
・黛敏郎:「涅槃」交響曲(1958)
そして、「涅槃」!!!
その空間軸といい、また時間軸といい、真髄は実演に触れねば決してわかるまい。
金色の涅槃をかくも渋い音色で表現した黛の天才。黛敏郎が三宝、すなわち「仏法僧」を得たのかどうなのか、それは定かでない。しかし、ここには仏教的イデオロギーに支配されない信仰がある。あくまで宗教を超えた異次元の良心を作曲家はただただ音化したのだ。
「カンパノロジーⅠ」の研ぎ澄まされた音響。
続く「首楞厳神咒」の、藝大合唱団の意味深い歌とオーケストラの信じ難い轟音の協演。聖なる鐘が鳴り渡り、地から音楽が湧き出ずる。また、「カンパノロジーⅡ」の優しさ。その後の「摩訶梵」の神秘!!蠢く「カンパノロジーⅢ」を経て、最終章「一心敬礼」のあまりに人間的崇高さ。
音楽が跳ねる。
音楽がうねる。
そしてまた、音楽が泣く。
それにしても下野の正確なビートを刻む指揮振りの美しさ。
それと、2つのバンダを伴った、ライブでしか体験することのできない空間配置の妙。
黛敏郎の音楽は実演でなければわからないだろう。
ちなみに、1曲目の三善晃の「管弦楽のための協奏曲」は遅刻のためロビーで拝聴。
こちらも実に集中力を要するであろう佳作。音楽が咆える。
ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。
「涅槃交響曲」では、いまだに初演者、岩城宏之指揮による再演の実演体験の記憶が鮮烈に甦ります。
>真髄は実演に触れねば決してわかるまい。
同感です。
余談ですが、前にお会いした時かにお話ししたことがあったかもしれませんが、私の従弟はバレエ団をやっていまして、
http://nishina-reiko-ballet.net/history
http://nishina-reiko-ballet.net/
彼の名前の由来は、親が岩城さんのファンだったことにあります。
彼の教え子の中には、この春に宝塚音楽学校に入学できた女性もいたり、劇団四季に入って活躍している人もいるのですが、ご覧のようにホームページでは、決してそういうことを積極的にPRしようとしていません。
昨夜遅くまで彼と一献傾けていたのですが、「もっと岩城宏之や黛敏郎や小澤征爾のように、あざといくらい『俺が俺が』って商売っ気出したほうがいいと思うよ」とアドバイスしてやりました。彼の美学には反するようですが。
私も行きました。日本を代表する傑作でした。ここ最近、黛敏郎再評価が進んでも、政治発言という「負の面」はぬぐえませんね。
政治発言は「負の面」だけではないと私は思います。
>雅之様
岩城さんの再演を聴かれているのですか!羨ましい限りです。
こういう作品は機会を逃すと今度いつ聴けるかわかりませんからね。
下野も実に丁寧な指揮で良かったです。
例によって上手上方から食い入るように聴きましたが、あの圧倒的な音のシャワーと言いますか、本当にすごかったです。
そういえば以前、従弟さんがバレエ団主宰されているとおっしゃてましたね!
ホームページを拝見させていただきましたが、予想以上に凄い方ですね。
確かにあざといくらい「俺が俺が」と出しても良いかもしれません。(笑)
>畑山千恵子様
いらしたのですか!
素晴らしかったですよね。
ちなみに、政治発言は「負の面」だけではないと僕も思います。
[…] ひれ伏す思い。 岩城宏之の再生する「涅槃」の素晴らしさ。 これを聴くと、先日、下野竜也がいかに有機的かつ鋭敏な音楽を創造したかが一層理解できる。さすがに実演は音盤を凌ぐ。 […]
>ちなみに、1曲目の三善晃の「管弦楽のための協奏曲」は遅刻のためロビーで拝聴。
遅刻は絶対に厳禁です。
特に、人と人とのつながりの中で生きている演奏家たちにとって、時間は命だからです(笑)。
>雅之様
あいたたた・・・(笑)
やられました。
今後は時間厳守いたします。m(_ _)m