気の許せる仲間たちと集い、「年忘れクリスマス・パーティー」という名の懇親会。「セミナー」を受けていただいた方という条件で10名ほど。ここしばらくホームパーティーは開催していなかったので、久しぶりに新鮮な感覚を味わうと同時に、数時間という時間が予想以上に濃く、「等身大、ありのまま」の自分を表現できる友人の重要性を改めて実感する。人の本質を知り、自分が「自分らしく」いられる空間は極めて重要である。ともかく一人でも多くの方々に受講していただけるよう2009年は努力しようと決意する。
大晦日まであと10日を切る。年々時間のスピードが増しているようだ。2008年もあっという間の日々。振り返りの感想はまた後日に譲るが、この1年もまたいろいろなことをまた学ばせていただいた。特に再確認したことは「不安」について。人間の精神の奥底に根づくもの。誰一人としておそらく逃れられない一種の恐怖。そのお陰で人は自分と闘い、ある時は問題を引き起こしてしまう。ただし、そのことを客観的に認識することで解放することは可能。「不安」から完全に解き放つことは無理だが、少なくとも「不安な状態」が認識できるだけで状況は一変する。気持ちを他人に向け、人が喜んでくれるよう「行い」を正していけばきっと物事は好転するだろう。人から奪うのではなく、共感し、共有していくことで「道」は開けるのである。
チャイコフスキー:ピアノ音楽集
レフ・ヴィノクール(ピアノ)
「四季」作品37bisをメインにしたピアノ音楽集。とはいえ、僕はむしろ作曲者46歳時の傑作である「ドゥムカハ短調-ロシアの農村風景-作品59」に惹かれる。哀歌ともいわれるこの音楽は、その形式どおり悲しみを前面にフューチャーした「アンダンテ・カンタービレ」の部分と、スピード感溢れる豪華絢爛劇的な中間部が結合し、人間のもつ感情の全てを表現する。涙を誘う・・・。
どんなに暗くても、どんなに悲しくても、人は皆その裏側に明るさや喜びを秘めているもの。喜怒哀楽の全てを包括する音楽を生み出すことができたチャイコフスキーは天才である。
クリスマスを前に、「くるみ割り人形」組曲作品71a、バレエ音楽「白鳥の湖」作品20を久しぶりに聴く。小雨降る冷たい今夜に相応しい音の芸術。いずれもシャルル・デュトワがモントリオール響を振って録音した名盤。今宵はチャイコフスキーの悲しくも切ないメロディに浸ろうか・・・。
追記
「ドゥムカ作品59」と「四季作品37bis~5月『白夜』」は、2年前愛知とし子が「Russian Romance」と題するリサイタルで披露した楽曲。会場は収容人数80名ほどの日比谷の松尾ホール。もちろん当時は出逢って間もない頃で、今の状況を予想だにしなかったが、初めて聴いた彼女の演奏がとても新鮮で美しかったことを思い出す。
おはようございます。
残念ながら、チャイコフスキーのピアノ曲については勉強不足で、ほとんど聴いたことがありません。先日のお恥ずかしいピアノ・ロール発言のように、私はピアノ曲は詳しくないです。
一方、私の愛聴曲のなかで最も乙女チック♡な部分(気持ち悪~い!失笑?)が、チャイコフスキーの3大バレエ音楽、特に晩年の「くるみ割り人形」です。「悲愴」交響曲を書く一方で、こんなに大人も子供も、クラシック音楽に詳しくない人も楽しめる、メルヘンいっぱいの傑作を書いたなんて、奇跡としかいいようがありません。あまりにも美しくて、聴いていて泣けることがあります。「悲愴」では泣けなくても・・・。有名な組曲版もいいですが、やはり全曲版を聴きたくて、気が付いたら、けっこうCDコレクションも増えました。最近は西本智実さん指揮日本フィルによる、日本のオーケストラ初の記念すべき全曲盤を聴きました。
「くるみ割り人形」全曲は、クラシック音楽作品史上の、オーケストレーション面での最高傑作のひとつだと確信しています。その点では、彼の交響曲より確実に上だと断言できます。各種打楽器、チェレスタ、ハープの眩いばかりの効果的な使い方、少年合唱の加わった「雪片のワルツ」、「美しい城」でのフルートの難易度の高いフラッター・・・と、聴きどころは枚挙にいとまがありません。年末、オーケストラは「第九」ばかりやるのもいいですが、バレエは無くても、この曲の全曲演奏会を子供にも開放して、もっとやってほしいです(私は組曲版の演奏に加わったことが、大昔、一度だけあります)。
なお、組曲版では、今は亡きエコノムが2台のピアノ用に編曲した版を、アルゲリッチと、そのエコノムが弾いているCD(DG)が、最高に楽しいですね。
>雅之様
おはようございます。
チャイコフスキーのピアノ曲はとてもいいですよ。お奨めします。
しかし、雅之さんの愛聴曲がバレエ音楽とは?!一応僕も音盤は所有しているという程度で、それほど真剣に繰り返し聴いたことがありませんでした。「くるみ割り」も組曲版はよく知っておりますが、残念ながら全曲版は未聴です。
>あまりにも美しくて、聴いていて泣けることがあります。「悲愴」では泣けなくても・・・。
いやぁ、これは全曲版を手に入れないといけませんなぁ・・・。お奨めは何ですか?デュトワ盤?ゲルギエフ盤?
アルゲリッチ&エコノムの組曲版は持ってます。しかし、ほとんど聴かぬまま棚の奥に眠っております。
「くるみ割り人形」、馬鹿にしたものじゃなさそうですね。
ありがとうございます。チャイコのピアノ曲は、この機会に勉強してみたいです。今まで聴く気になれなかったもので・・・。
それと、「くるみ割り人形」は馬鹿にしてはいけませんねぇ(笑)。
チャイコの晩年の二つの最高傑作「くるみ割り人形」と「悲愴」交響曲は、「田園」と「運命」みたいなものでコインの表裏です。「くるみ割り人形」を否定したら、チャイコの音楽を全否定することにもなりかねませんね。
この曲で決定盤論争も、あまりやりたくありませんが、例えばプレヴィンの旧盤は昔から好きです。ゲルギエフ盤も全曲が1枚に収まっていていいんですが、「この演奏では踊れない」と、親戚のバレエ関係者は言っております(カラヤン指揮の組曲版も同様)。
ところで、「悲愴」交響曲の第1楽章展開部直前のクラリネット・ソロに続くファゴット・ソロ(160小節)、昔からほとんどの指揮者は、ファゴットではスコア指示のPPPPPPが出せないという理由で、バス・クラリネットで代奏させているのですが、これはいただけません。チャイコはファゴットに、この曲の第1楽章冒頭部や第4楽章の管楽器の最後の小節と同じで、ある象徴的な役割を担わせているのであって、ここは断じてバス・クラリネットではなく、スコアのとおりファゴットであるべきです。チャイコは「くるみ割り人形」の楽器編成には、ちゃんとバス・クラリネットを入れて活躍させています。「悲愴」でも使いたければ使ったはずです。そのことを多くの指揮者はもっと考慮すべきです。チャイコの交響曲の演奏でも「くるみ割り人形」など、彼のバレエ音楽から学ぶべきところは、実は多いのです。
クリスマスパーティーに呼んでいただきありがとうございました!!
みんな個性豊かな方ばかりで楽しい時間を過ごすことができました。
食事もおいしかったし♪特にサラダが(@^^)/~~~
こうやっておかちゃんと末長くお付き合いさせて頂いていることを感謝してます♪
ありがとうございました!!
>雅之様
こんばんは。
>チャイコの晩年の二つの最高傑作「くるみ割り人形」と「悲愴」交響曲は、「田園」と「運命」みたいなものでコインの表裏です。
なるほど、表裏、兄弟なんですね!それは知りませんでした。プレヴィン旧盤ですね。あと、僕はどうしてもゲルギエフ盤が気になります。
>「悲愴」交響曲の第1楽章展開部直前のクラリネット・ソロに続くファゴット・ソロ(160小節)、昔からほとんどの指揮者は、ファゴットではスコア指示のPPPPPPが出せないという理由で、バス・クラリネットで代奏させているのですが、これはいただけません。
へぇ、さすがは雅之さん!そういう楽曲の細かいところまでは僕は疎くて知りませんでした。ちなみに指定通りにやっている指揮者は誰なんですか??
>チャイコの交響曲の演奏でも「くるみ割り人形」など、彼のバレエ音楽から学ぶべきところは、実は多いのです。
なるほど、ありがとうございます。勉強になります。
>ぴろ
昨日はありがとう。こちらこそ楽しかったよ。
あ、サラダかい!ほとんど手がかかってないよ(笑)!
>おかちゃんと末長くお付き合いさせて頂いていることを感謝してます♪
いやいやこちらこそ。また周辺情報をくださいな(笑)。
まず、「悲愴」交響曲の第1楽章展開部直前(160小節)のファゴット・ソロについては、ベートーヴェンの「英雄」交響曲の第1楽章コーダで(当時の楽器でも吹けるにも拘らず)トランペットのテーマが途中から消えるのと同じで、作曲者の明確な意思でそう書いていることが重要です。
チャイコフスキーは、バス・クラリネットの特性について熟知しており、「くるみ割り人形」などで活躍させていたにも拘らず、「悲愴」交響曲の楽器編成に、あえて加えていないのです。この曲の第1楽章冒頭部(1小節~、ソロ)や第4楽章の管楽器の最後の小節(163小節)はファゴットです。ファゴットは地の底の象徴のような意味で、ポイントになるところで使っています。PPPPPPで落ちていく第1楽章展開部直前も、チャイコフスキーは、明確に途中からファゴットの音を望んでいたと思います。ここは、曲の設計図の根幹の部分なので、バス・クラリネットで代奏することは、作曲者の意志を無視する行為だと思っています。この部分が軽視されているのは、演奏する側も聴く側も、チャイコフスキーを軽く見ている証拠だと思います。ベートーヴェンやブルックナーだったら、みんなもっと騒ぐでしょう。スコアのPPPPPPは、絶対的音量ではなく、あくまでファゴットで出せるPPPPPPをチャイコフスキーは望んだのだと、私は確信しています。
お尋ねの、ここをスコアのとおりファゴットで演奏したCDやLP、私が知っている限りでは、ゲルギエフ&ウィーン・フィル、ハイティンク&ACO、メータ&ロス・フィルがあります。ゲルギエフ&ウィーン・フィルは来日公演でもファゴットで演奏していたと思います。明らかに下降音型の途中で音が大きくなるので、誰でもすぐわかります。
「くるみ割り人形」全曲のCDについては、ゲルギエフ盤でもデュトワ盤でも、お好きなCDをどうぞ。自分で踊りもしない私が、この曲の演奏の良し悪しをあれこれ言うのは野暮だと思いますので・・・。
>雅之様
詳細なご回答ありがとうございます。
いやぁ、視野が広がります。「エロイカ」の例の箇所のことはよく知っておりましたが、「悲愴」のこの部分については知らなかったです。確かにほとんど云々されないですよね。そういう意味ではチャイコフスキーは軽視されているかもしれません。
ゲルギエフのCDは所有していますので早速確認してみます。
「くるみ割り」に関してもありがとうございます。