シェイクスピアという人はおそらく人間の深層心理を知り尽くしていたのだろう。
彼の作品には、ある時は人間に対する信望の厚さが描かれ、またある時は執念深い疑義の感情が具に描かれる。
良き友よ、ここに葬られし亡骸掘ること、イエスのためにお控えくだされ。この墓石護る者に祝福あれ、わが骨動かす者に呪いあれ
まさに「目には目を」、シェイクスピアの墓碑銘は壮絶だ。
そしてまた、彼の数多の物語は二元の対比の中にあったがゆえ激烈であり、劇的だ。
人間の内側の底知れぬ権力欲。一方で、良心から生じる拭えぬ罪悪感、あるいは恐怖。
矛盾に満ちたシステムに生きる人間は何という矛盾を抱えるのか。
「マクベス」の物語。
その作品に見事な音楽を付したジュゼッペ・ヴェルディの天才。
初演当時、その音楽は決して高い評価を得たわけではないそうだが、逆に感情の奥底まで抉るその深遠で濃密な音楽はクラウディオ・アバドの手によって1世紀以上を経てようやくその真価が認められるようになった。
不吉な葬送のファンファーレ。
しかし、そこには不思議に明朗な躍動すらあるという矛盾。
第1幕冒頭からスカラ座管弦楽団の馬力に心動く。
・ヴェルディ:歌劇「マクベス」
ピエロ・カプッチッリ(マクベス、バリトン)
ニコライ・ギャウロフ(バンクォー、バス)
シャーリー・ヴァーレット(マクベス夫人、ソプラノ)
ステファニア・マラグ(マクベス夫人の侍女、メゾソプラノ)
プラシド・ドミンゴ(マクダフ、テノール)
アントニオ・サヴァスターノ(マルコム、テノール)
カルロ・サルド(医師、バス)
ジョヴァンニ・フォイアーニ(マクベスの従者、バス)
アルフレード・マリオッティ(刺客、バス)
セルジオ・フォンタナ(伝令、バス)ほか
クラウディオ・アバド指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団(1976.1録音)
第4幕第1場合唱「虐げられた祖国よ!」直後の、ドミンゴ扮するマクダフのアリア「ああ、父の手は」のあまりに豊かな歌!!何という哀しみ!!
続いてマルコム(サヴァスターノ)が登場し、マクダフや合唱とともに歌う「裏切られた祖国が呼んでいる」の雄渾さ。
さらには第2場に移ってのマクベス夫人の有名な夢遊の場「ここにまだ染みがある」は、ヴァーレットの巧妙な歌い回しによってその怖ろしさが一層強調される。ここでのオーケストラの不気味でありながら絶妙な伴奏にも身がすくむ。
慈悲、尊敬、愛、
年老いた日々の慰め、
そんなものが花咲くわけがあるまい。
それにしても第3場のマクベスのアリア「慈悲、尊敬、愛」におけるカプッチッリの悲観の表現の素晴らしさ。
あまりに知られた名盤ゆえ、僕がこれ以上何かを書くのも憚られる。
静かにただひたすら耳を傾けるべし。
北方への転生の夢を見る。
ウィリアム・シェイクスピアは400年前、1616年4月23日に52歳の生涯を閉じた。
何と現在の僕の年齢と同じとは・・・。
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つい先日(6月20日)、オセロゲーム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BB%E3%83%AD_(%E9%81%8A%E6%88%AF)
を考案した長谷川五郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E4%BA%94%E9%83%8E
が亡くなられたのにも驚いたのですが、オセロゲームという名前の由来についても、まったく知りませんでした。
・・・・・・そのゲームを考案した際に何と名付けるかについて英文学研究者(英文学者)である父親の四郎に相談したところ、シェイクスピアの『オセロ』を取り上げたからだという。その名を出されれば、白人女性のデズデモーナ(=白石)と、その夫の黒人軍人オセロ(=黒石)が緑の平原(=緑の盤面)で勇猛果敢に闘う物語が思い描かれたので、盤面を緑色にしこの名称を使うようになった、という。シェイクスピアの『オセロ』は敵・味方が頻繁に寝返るストーリーの演劇作品である。・・・・・・(同Wikipedia内記事より)
もう、びっくりポンだす(ふっ、古い!!)。
>雅之様
オセロゲームの由来というのは僕知りませんでした。
ありがとうございます。