人を理解すると受け容れることができる

tchaikovsky_4_mravinsky.jpgパソコンが普及して10数年経過する。僕自身の中でも日常生活の中で、あるいは仕事をする上でなくてはならない道具と化している。携帯電話然り。便利になったことの引き換えに、人間から人間らしい生き方を奪う原因(心身の変調を来す原因ということも含めて)になっているだろうことも明らか。

丸1日パソコンに向かって資料作りをしていると頭がボーっとしてくる。もはや死語に近い単語だと思うが、こういうのを「テクノストレス」というのだろうか。たった数時間のデスクワークでこういう状態になるのだから、年がら年中コンピューターに向かって仕事をしている人が「鬱病」などの心の問題に悩まされるということも頷ける。こういう時代だからこそ、外に出て人とコミュニケートする、それも上っ面の交流ではなく、たとえ短い時間であろうと「深く受け容れあう」交流こそが重要になる。ただし、一口に「深い交流」と言ってもどうすればそれができるのかほとんどの人はよくわからないだろう。コミュニケーションは人から教わるものではないという概念が不思議にあるから。

20年という年月、そして数千人という若者と接してきた経験からいうと、どんな人でも人と深く交わりたいと心底では思っているもの。素直に自己表現できない人でも実はそう。人と交わりたくないとあえて公言している人だって、本当は(無意識だが)人から愛されたい、受け容れられたいと思っているんだということがよくわかる。ただ、素直になって等身大の自分を表現し、人と交わるということができなくなってしまっているだけだから、そのことに気づき、意識のチャンネルを少し変えていくだけで状況は大きく変わっていくのに・・・。

何だか人と一層深く交わりたいという欲求が沸々と湧いてきた。

作曲家の人となりを勉強して音楽を聴くと滅法面白い。チャイコフスキーなどは生涯に5000通以上もの手紙を書き、日記を含めてそれがしっかりと後世に残っているから、彼の歩んできた人生(家族のこと、女性遍歴、ホモセクシャルについてなど)が非常によくわかる。100年以上前の、それも遠く離れたロシアで起こったことが手に取るようにとても身近に感じられる。そういうことがわかって彼の音楽を聴くと一層身に染みるのだから、人を理解するということは何にせよ大事なことである。

交響曲第4番へ短調作品36
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

ムラヴィンスキーがDGに録音した名盤の一つ。交響曲作家としてのチャイコフスキーの出世作だと思うが、初演の時にはそれほど評価は高くなかったようだ。どういうわけか僕自身もこの曲をそれほどのめり込んで聴いた時期はない。タネーエフが批判したように第1楽章が妙に大きくて歪な印象も確かになきにしもあらずだが、それはそれとしてやはり手に汗握る熱狂的な名曲だろう。レニングラード・フィルの鉄壁のアンサンブルが一層の拍車をかける。

2 COMMENTS

雅之

おはようございます。出張前で時間がないので手短に・・・。
チャイコの4番、ブラームスの3番、メンデルスゾーンの4番、これらの交響曲はアマオケではあまりやりたがりません。アマには他の大曲と比べても難易度が高いです。チャイコの4番に関しては、スコアも、特に第1楽章はシャープやフラットなどがいっぱいで、スコアが読みにくく、演奏の初心者にはとっつきにくいです。アマオケの演目にあがる確率は5番や6番の何十分の一だと思います。でも金管や木管(特にオーボエ)をやっているアマチュアの人は、挑戦したいと思っている人が多いと思います。私もじつは憧れている曲で、弾いてみたいと思い続けている曲です。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。お忙しい時にコメントをありがとうございます。
実際にオケでプレイされている方の意見はとても参考になります。
なるほど、チャイコの4番は難物なんですね。演奏の難易度は別にしても5番や6番ほどは僕も愛着を感じないんですよね。
>でも金管や木管(特にオーボエ)をやっているアマチュアの人は、挑戦したいと思っている人が多いと思います。
なるほど、一聴明らかです。

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