John Coltrane “Stardust” (1958.7.11 & 12.26録音)を聴いて思ふ

coltrane_stardust574元々は卑猥なスラングであった”JAZZ”。
それでなくともつい夜更けの交歓を思い描くバラード。
あまりに優しい・・・。

ジャズ音楽がおそらく最も熱かった1950年代。
ジョン・コルトレーンは地道に先輩諸氏のイディオムを吸収し、独自の路線を切り開いていった。
1958年は彼の分岐点だ。

コルトレーンは、モンクの家にたびたび出かけて質問した。それまで一音しか出ないと思われていたサキソフォンから、じつは二つまたそれ以上の重音が出せることもこのとき教わった。指使いを変えることにより微妙にピッチ(音程)の違うサウンドが出ることや、当時はそれほど重要とは考えられていなかった二オクターブより上の倍音奏法も、この後、コルトレーンを支える重要なテクニックとなっていく。コード進行に関する意外な転回法へのヒントも、多くモンクからもたらされている。
(内藤遊人「巨星コルトレーンの足跡」)
「ジョン・コルトレーン―至上の愛」(講談社)P47

コルトレーンの進化のスピードは尋常ではない。
しかし、そこには彼の孤独な、そして懸命な努力があり、すべてはその賜物であることがよくわかる。もちろん生まれながらに才能があったことは確かだけれど。
それにしても、人間の考え得る想像力を超えての創造力に関しては右に出るものはいまい(マイルス・デイヴィスくらいか?)

John Coltrane:Stardust (1958.7&12録音)

Personnel
John Coltrane (tenor sax)
Wilbur Hardin (flugelhorn)
Freddie Hubbard (trumpet)
Red Garland (piano)
Paul Chambers (bass)
Jimmy Cobb (drums)
Art Taylor (drums)

癒しと安寧。
このアルバムの安心感はコルトレーンの作品中でも一、二を争うものだろう。
ある意味コルトレーンの完成形。これ以降の彼の音楽は、徐々にジャズの世界を逸脱し、孤高の世界に入ってゆくのだから。
それにしても彼が、これ以降10年も生きられなかったことを考えると、そのあまりの生き急ぐ姿に感嘆の念を禁じ得ない。
ほとんどヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの如し。

世界は拡大と縮小の繰り返し。
膨張した宇宙は爆発し、最後は星屑となる。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


2 COMMENTS

雅之

突然ですが、クレヨンや絵具等で「肌色」という言葉が死語になっていることをご存じでしょうか。私はまったく知りませんでした。今の小学生は「肌色」という色彩用語自体を知らない子が多いようです。

・・・・・・人種差別に対する問題意識から、人種・個人差・日焼けの度合いによって肌の色は異なるのに特定の色を肌色(フレッシュ)と規定することはおかしい、としてこの名称を避ける動きがあり、クレヨン・クーピーペンシル・絵具等で従来の肌色を薄橙(うすだいだい)やペールオレンジ (pale orange) 等と言い換える場合がある。アメリカでは、たとえば1962年にCrayola社は肌色に相当する flesh の呼称を“peach”(ピーチ)と呼び変えている。日本では、2000年前後から大手文具メーカーが協議の結果として「肌色」という呼称の使用を取りやめるようになり、2005年から2006年頃には全てのクレヨンからこの呼称が撤廃された。・・・・・・Wikipedia「肌色」より

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%8C%E8%89%B2

過剰な言葉狩りだけで世の中が良くなりゃ、そんなに楽なことはないのですが、どうも世界中でその反動が来ているような怖さがあります。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

「肌色」が死語になっているとは知りませんでした。
確かにそう言われてみればという理由ではありますが、おっしゃるように当然反動が来ますよね。
現に世界中で様々起こってますし・・・。
ありがとうございます。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む