内声の厚み、そして深み。
旋律は極めて柔らかで、慈悲に溢れる。
その音楽は懐かしさを喚起し、聴く者を癒す。
当時の、クララ・シューマンの手紙には次のようにある。
山に近い、もの悲しい部屋で、あなたが私に春の五重奏曲(作品88ヘ長調)を弾いてくださったら、どんなによかったことでしょう。ガスタインでは楽器を一台借りるつもりですが、と申しますのはミュンヘンかザルツブルクから送らせますが、あのような温泉地に、あなたに訪ねていただきたいとは口にも出せないことでございます。
(1882年6月28日付、クララよりブラームス宛)
~ベルトルト・リッツマン編/原田光子編訳「クララ・シューマン×ヨハネス・ブラームス友情の書簡」(みすず書房)P257
孤独と闘うクララの心は、愛するヨハネスとつながり、彼の音楽を思う。
精神の充実は作品に高度に反映される。何という温かさ。これこそヨハネス・ブラームスの最大の自信作の一つであった。
たとえばもう1曲の弦楽五重奏曲のことを考えているのですが、以前の曲が実際のところ私のもっともすてきな曲なので心配です。
(1890年8月末、ブラームスよりクララ宛)
~「作曲家別名曲解説ライブラリー7 ブラームス」(音楽之友社)P180
かつて、アマデウス四重奏団がセシル・アロノヴィッツを迎えて演奏した五重奏曲は、録音から50年近くを経てもまったく色褪せない。それどころか、月日を置くごとにますます輝きを増すように僕には思われる。
作品88にある感傷的な旋律と官能的な音響。
それは内なる魂を鼓舞する。
ブラームス:
・弦楽五重奏曲第1番ヘ長調作品88(1968.4録音)
・弦楽五重奏曲第2番ト長調作品111(1967.5録音)
セシル・アロノヴィッツ(ヴィオラ)
アマデウス四重奏団
とはいえ、ト長調作品111の方もヘ長調作品88に負けず劣らず、作曲家の精神の充実を刻印する。
全編寂寥感漂う第2楽章アダージョの、ときに激しい慟哭に心動く。
そして、終楽章ヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポ・プレストの弾ける幸福は、死を意識する作曲家のいわば最後の光輝。
「極端になっちゃいけないよ」と父は弱々しく言った。「僕は、お前の年に適わない・・・えーと・・・それから僕の歳にも似合わない生活をしてきたことを認める。けれども、それは馬鹿げた、不幸な生活でもなかったよ。いや・・・結局・・・僕たちはあんまり・・・えーと・・・悲しくは・・・いや狂ってもいなかったよ。この2年間・・・アンヌの物事に対する考えが少し違っていたって、そういうふうに、全部否定しちゃいけないよ」
「否定しちゃいけない・・・けれども、捨てなくちゃならないのだわ」と私は確信を持って言った。
~フランソワーズ・サガン作/朝吹登水子訳「悲しみよこんにちは」(新潮文庫)P107
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>「否定しちゃいけない・・・けれども、捨てなくちゃならないのだわ」
サガン「悲しみよこんにちは」と頭の中でリンクするのは、同じ18歳の時に中沢けいが書いた「海を感じる時」。
https://www.amazon.co.jp/%E6%B5%B7%E3%82%92%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E6%99%82-%E4%B8%AD%E6%B2%A2%E3%81%91%E3%81%84/dp/4061139681/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1469278978&sr=1-2&keywords=%E6%B5%B7%E3%82%92%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E6%99%82
いつの時代も、何にせよ人生で最も勇気が必要なのは、断捨離の決断ですね (^_^)v
>雅之様
ご紹介の小説は未読ですが、おっしゃるように断捨離の勇気こそ人生で最重要かもですね。
ありがとうございます。
ブラームスの弦五に触発されてサガンを引っ張り出した甲斐がありました。(笑)
[…] の。だからこそそこには永遠がある。 アマデウス四重奏団とアロノヴィッツによるアンサンブルは、同じ頃録音されたブラームスの五重奏曲や六重奏曲の名演奏に匹敵する素晴らしさ。 […]