ストロンバーグ指揮ボーンマス響のグローフェ「デス・ヴァレー組曲」(2000.2録音)を聴いて思ふ

grofe_death_valley_suite_stromberg608いかにも厚化粧の、大衆を意識した音楽作り(のように僕には思える)。
音楽の面白さは、その土地、その地域の雰囲気が自ずと醸し出されるところ。同時に国民性というのか何というのか、それを享受するであろう大衆の嗜好までもが手に取るようにわかるところ。
人は環境によって育まれるのである。
それゆえ思考や感情のひとつひとつは必ずそこに結びつく。実に興味深い。

「豪快」という言葉が正しいのかどうなのかわからない。
それでいてどこか哀愁漂い、幽玄でもある。
ヨーロッパ世界とは明らかに異なる大自然の大らかさや洗練された大都会を描くファーディ・グローフェの音楽は、実にポピュラーだ。
ここにあるのは郷愁、否、というより、自らを育ててくれた大地への礼賛。
ほとんど映画音楽といっても良い6曲からなる「ハリウッド組曲」の愉悦と美しさ。
彼の天才は、音楽に見事に物語を喚起させる点。
情景が明らかなのである。

グローフェ:デス・ヴァレー組曲
・ハリウッド組曲
・ハドソン川組曲
・デス・ヴァレー組曲
ウィリアム・ストロンバーグ指揮ボーンマス交響楽団(2000.2.28-29録音)

真夏の夕立に遭う。
大自然の「自然」とはそういうこと。
「ハドソン川組曲」もまた美しい。第1曲「川」は、滔々と流れる水を見事に表現する。
また第2曲「ヘンリー・ハドソン」や、第3曲「リップ・ヴァン・ウィンクル」はほとんどディズニー音楽のよう。静かに奏でられる旋律に滋味を思う。

驚くべきは「デス・ヴァレー組曲」。「葬送の山」と題する第1曲の不気味さこそ映画音楽のそれ。そして、何より第3曲「砂漠の水の穴」において、突如フォスターの音楽が引用される様に、それこそスティーヴン・フォスターがアメリカ人にとってのオアシスなのだと納得する。

ちなみに、グローフェの功績のひとつに、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」のオーケストレーションという仕事がある。「今」のイディオムを素直に取り込む姿勢、いかにも人好きのする音楽はどの瞬間も極めて現実的だ。

僕はひらめいた。
こういう音楽には、あえて哀しみと愁いの色彩の中にあるエドガー・アラン・ポーの詩の幻想だと。

人間の住んでいない
無言の谷が
昔はほほえんだ。
人々は優しく光る星を頼りに
夜毎に、彼等の淡青の塔から
花の群を見張しようと
戦の庭に出かけた。
花の真中に日もすがら
赤い太陽がものうげに横たわる。
いまは訪客は悉く
悲しい谷間の不安を告白するであろう。
そこには何ものも動かないものはない―
怪しい孤独の上を覆う
大気の外は何ものも。
「不安の谷間」
阿部保訳「ポー詩集」(新潮文庫)P41-42

人がいて音楽がある。
自然があってまた音楽がある。

 

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