アナログ盤

Miles_Kind_of_blue.jpgどういうわけか夕べは寝つきが悪かった。身体は疲れているのに頭が妙にさえ、ほとんど浅い眠りにしかつけなかったので、何だか今日は一日眠い。

IKEA港北店にお出かけ。日曜の夕方ともなると、人、人、人・・・。自宅で本格的に乳児向け音楽サロンを展開するにあたり、部屋の雰囲気を一新しようと策を練り、必要最小限の家具を買い揃えようと久しぶりに訪れたのだが、本当に人疲れした(とはいえ、そこそこお洒落な家具が格安で手に入るのだから、これだけの人が押し寄せてくるのも頷ける)。

帰宅後、ちっきー君が来宅。不要のオーディオ機器をYahooオークションに出品してもらうためわざわざ来ていただいた。彼も最近JBLの中古スピーカー(Horizon L-116)を格安で手に入れたので、以前その音を聴かせていただくために笹塚のお宅まで伺ったが、かのJBL以上に柔らかくかつハリのある鮮明な音にちっきー君も度肝を抜かれたようだ。しかも、TANNOY・Mayfairを2つ目のスピーカーとしてつなぎ、2台を同時に鳴らせるようセッティングしたものだから、ほとんどサラウンド的な効果が獲得されて、奏者が目の前で音を出しているのではないかと錯覚してしまうほど。せっかくなので、久しぶりにアナログ・ディスクを堪能した。

Miles Davis:Kind Of Blue

あえてLPで聴くマイルスの音。微かな針音を背景に、ポール・チェンバースのベースがうねり、ビル・エヴァンスの独特のピアノの音が交錯する。CDでは味わえない、何とも昔懐かしい柔らかい音色。最近、アナログ盤がまた注目され出しているが、なるほどこうやって久しぶりにLPレコードを聴いてみると、レコードを丁寧にターンテーブルに載せ、アームを音盤の外周辺りに手作業でゆっくりと落とす瞬間は、神聖な音楽を今これから聴くぞと言う心を確認するような儀式のようなもので、25年近く前、まだまだ若かった頃の音楽に対する新鮮な気持ちをあらためて思い出した。

ゆっくりと流れる時間の中に身を浸して、人々が真の「癒し」というものを体感できるセミナーや研修を多くの方々に提供したいものだとつくづく感じた。

人間というのはそもそもアナログ的で曖昧な存在である。齷齪せず、時間の流れに身を任せ、直感を信じて前に進んでいけば悪かろう筈がない。


11 COMMENTS

雅之

おはようございます。
クラシック音楽向きのTANNOYの高級スピーカーでLPの「Kind Of Blue」、これはどんなに素晴らしい音なのか聴いてみたくてたまりません。また、昨日の話の続きですが、ジャズでも1950年代のステレオ初期は、いい録音が多いですよね。「Kind Of Blue」などを聴いていると、ジャズの最新録音なんかいらない!と、マジに思います。
CDよりLPの方が、特にアナログ音源では音がいいのは紛れもない事実ですね。私も所有する数少ないLPは宝物で、絶対に手放したくありません。
もし、CDが存在しなかったら、今頃オーディオはどうなっているかを想像することがあります。LPの素材は燃えるとダイオキシンを発生させ、今は使用を敬遠されがちな塩化ビニールが主体ですから、樹脂メーカーは塩化ビニールに替わる、高音質で、反らない、耐久性、耐熱性のある新素材の開発競争に勤しんでいた可能性が強いと個人的には思っています。それは昨今の新素材のCDの開発競争より、はるかに意味のあることなのでは・・・。
「Kind Of Blue」に代表される「モード・ジャズ」について。
岡本さんのブログにコメントさせていただいてから1年近くになりましたが、「モード=旋法」についても勉強させていただく本当によい機会になりました。ドビュッシーとマイルス・デイビスの「モード」での共通性についての認識が深まったことは、この1年の自分の音楽観の最大の進歩だったと感じています。それは東洋文化の偉大さを見つめ直すきっかけにもなりました。感謝です。
昨日は休日出勤でしたが、移動中、車のなかで聴いていたFM放送の番組に、皆川達夫氏が出演されて、ライフワークの研究テーマの「オラショ」について語っておられました。
400年以上前に日本に伝わったキリスト教文化の証しの、隠れキリシタン達が代々命を懸けて大切に継承してきた歌「オラショ」の元歌の聖歌は、紛れもなくドビュッシーやマイルス・デイビスが駆使したのと同じ、日本の伝統音楽と共通の「モード」による音楽だったんだなあと、FMを聴きながらつくづく思ったものでした。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1424970

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
アナログの音の素晴らしいさをあらためて体感した感じですね。
クラシックにしろジャズにしろ、やっぱりその時代にあったソフトで聴くのがベストなのでしょうね。LPの初期盤が高額で取引される意味がわかるような気がします。
それにしても10年以上前に大量に処分したアナログディスク、本当に惜しいことをしました(涙)。
>もし、CDが存在しなかったら、今頃オーディオはどうなっているかを想像することがあります。
前にもブログで書きましたが、進化(便利になったこと)は退化(人間の感性が鈍る)でもあることを実感しますね。
>それは昨今の新素材のCDの開発競争より、はるかに意味のあることなのでは・・・。
おっしゃるとおりです。
>ドビュッシーとマイルス・デイビスの「モード」での共通性についての認識が深まったこと
素晴らしい!僕は、音楽的な知識に疎く、このあたりのことがどうしても理解できません。楽器を長く演奏されてきた雅之さんに講義を受けたいくらいです。よろしくお願いします。
>オラショとモードもそういう関連性があったのですね。
やっぱり、宇宙はひとつ、根っこでつながってますね。

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たんの

ジャズの帝王と呼ばれるマイルス・デイビスを取りあげてくださってうれしく思っています。ジョン・コルトレーンのスピリチュアルな演奏も好きす。
もうLPは処分してしまいましたが・・・

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岡本 浩和

>たんのさん
こんばんは。コメントありがとうございます。
へぇ、マイルスやコルトレーンを聴かれるんですね。また機会があったらジャズの話でも(笑)。
ところで、本日無事登記の申請を完了しました。本当は月末と思っていたのですが、せっかくなので3月3日という3並びの日にしました。今後ともよろしくお願いします。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » Miles Davis and the Modern Jazz Giants

[…] ともかく日々過ぎ去るのが早い。あっという間に2日が過ぎ・・・。 世間の喧騒から離れてだいぶゆっくりしている。睡眠もしっかりとり、昼間も飲んで寝ての繰り返し(笑)。まぁ、こういうパターンも良かろう。しっかり充電して仕事始めに備えよう。 不思議に明るく開放的なパフォーマンスを。 帝王マイルスが、まだまだ進歩的でありながら健康的な音楽を演っていた時代の産物。 彼の演奏史の頂点を名作”Kind Of Blue”とするならば、そこに辿り着くために必要なアイデンティティとアイデアと、そしてともに創作する仲間を得るために階段を昇ってゆく、その途中でのジャズの巨人たちとの歴史的邂逅。聴いていて涙が出るほど・・・Milesはいつの時代もMiles、変わることがない。かっこいい。 […]

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 過ぎたるは及ばざるが如し

[…] 池田満寿夫のコラージュをジャケットに設えたマイルス・デイヴィスのアルバム。 日本で編集されたという内容充実した素敵な音盤。こういうものを聴かされると、マイルスの全盛期はやっぱり”Kind Of Blue”の前夜だったのではないかという思いが強くなる。 何より新鮮で、初々しさと勢いが同居する。やりたいことをやりたいようにやり、かつ芸術的には相当に高いレベルに達する。アーティストは誰しもそういう域を目指すが、そうなる人は少ない。 […]

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » MILES IN BERLIN

[…] 名曲”So What”のテンポも例のスタジオ録音より随分早い。キレとスピードが半端なくかっこいい。ハービーとロンのリズムにトニーが絡み、マイルスのトランペットは「あれ」とは異なる旋律を吹きまくる(ほとんど原曲の形を保たないほどに崩されているけれど、よく聴くと間違いなく”So What”)。ショーターのテナーはすこぶる冷静だけれど、熱い。聴衆からの注目が並大抵でないことが収録された「音」から容易に想像できる。 それに、オリジナルLPには収録されていない”Stella By Starlight”!!ハンコックのピアノ・ソロ、そこにかぶさるマイルスの哀愁帯びたトランペット・・・。冒頭数小節でもう涙がこぼれそう(笑)。 […]

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