チェルニャコフ演出のヴェルディ 歌劇「マクベス」(2009.4Live)を観て思ふ

verdi_macbeth_2009_paris649「マクベス」原作の第5幕第7場は、マクベスの次の台詞で始まる。

とうとう杭に縛りつけられてしまった。もう逃げられぬ、こうなったら熊よろしく、噛みつく犬どもを叩きのめしてやるだけだ。女から生れなかった奴というのはどこのどいつだ?そいつだけだ、おれの恐れるのは、ほかにこわい者はないぞ。
シェイクスピア作/福田恒存訳「マクベス」(新潮文庫)P128

帝王切開で生まれた、すなわち「女から生れなかった」マクダフこそ暴君マクベスの真の敵であり、そして彼は最後このマクダフの剣に屈した。第5幕第8場、マクベスの辞世の言葉は、威勢は良いもののどこか空しい。

誰が膝まずいてマルコムの足をなめ、衆愚のやじを浴びるものか。たとえバーナムの森がダンシネインの城に迫ろうと、女から生れぬ貴様を相手にしようと、さあ、これが最後の運試しだ。
~同上書P132

周囲の声に惑わされてはならぬ。君主とあろう者、良心に照らして行動をある時、制御せねばならぬ。

ジュゼッペ・ヴェルディが1846年に作曲した「マクベス」は、全体的に地味な作品だが、夫人の「夢遊の場」やマクベスの唯一のアリア「慈悲、尊敬、愛」などをもつ終幕は聴かせどころで、上記の手に汗握るシーンの素晴らしい音楽とあわせ、折に触れて僕は聴く。

2009年のパリ・バスティーユ歌劇場の「マクベス」を観た。
ディミトリ・チェルニャコフの現代的な演出はどうしても違和感があるが(最近はこの手のものが流行っているようだが、ことオペラに関しては保守的な僕は苦手)、マクベスに扮するディミトリス・ティリアコスのアリア「慈悲、尊敬、愛」には、妻の言いなりに罪を犯したことへの後悔が滲み、彼がほんの一瞬にして「本来」を取り戻す苦悩が見事に演じられており、素晴らしい。

慈悲、尊敬、愛、
年老いた日々の慰めそんなものが
花咲くわけがあるまい。
お前の白髪の齢に、
そしてまたお前の王家の墓石に、
優しい言葉を願うこともできぬ。
罵りの言葉だけだ、ああ!
お前の弔いの歌となるのは!
オペラ対訳プロジェクト

マクベスは心底夫人を愛していたのだ。嗚呼、哀しいかな。

・ヴェルディ:歌劇「マクベス」(1865年改訂版)
ディミトリス・ティリアコス(バリトン、マクベス)
ヴィオレータ・ウルマーナ(ソプラノ、マクベス夫人)
フェルッチョ・フルラネット(バス、バンコ)
ステーファノ・セッコ(テノール、マクドゥフ)
アルフレード・ニグロ(テノール、マルコルム)、ほか
テオドール・クルレンツィス指揮パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団
ディミトリ・チェルニャコフ(演出、装置、衣装)(2009.4Live)

マクベス夫人に扮するヴィオレータ・ウルマーナの演じる「夢遊の場」は、思ったほどおどろおどろしくない。やっぱり演出の明るさが影響するのだと思うが、それでもヴェルディの音楽は実に生々しく、またクルレンツィスの先鋭的で勢いのある音楽作りと相まって釘付けにさせられる。
それにしても最後の勝利の合唱「国王に幸あれ!」の解放的で明朗な音楽は善の象徴であり、これによってマクベス夫妻の凶悪はついに葬り去られたことを告げる。作曲者ヴェルディの気概がうかがえる。

しかしながら、勧善懲悪の物語は輪廻する。来世において役割が交替するだけ。空しいものだ。

 

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