人の精神力は、生きようとする意志は強靭だ。
たとえ身体が粉々であっても、魂の前向きの叫びがあれば生命は長らえる。ましてや、創造力は常識や想像を超える。
父の具合は日に日に悪化した。主治医のイズリアル・ラパポート先生はペニシリン注射を処方した。驚異の新薬だったが、今にして思えば、その薬に先生がどんな効果を期待したのかは分からない。「だが、注射は看護婦でなくてもできるはずだ」と父は抵抗した。父はこれまで出会った看護婦のわざとらしい素振りが我慢できなかった。「あの女、理由もなく微笑みながらここに立ち、元気かどうか毎日尋ねるが、答えには何の関心もない。」結局、看護婦の一人が最初に手本を示し、私に注射の仕方を教えることになった。父は他人を家に入れる代わりに、健気にも私の頼りない注射に耐えた。
~ペーテル・バルトーク著/村上泰裕訳「父・バルトーク―息子による大作曲家の思い出」(スタイルノート)P175
優しい人だ。そして彼は、やっぱり不安で寂しかったのだ。人間っぽい。
死を目前にして、自覚があったのか家族との時間を一層大切にしたベラ・バルトーク。
興味深いのは、最晩年の作品群に、一切の死の影が感じられず、まだまだこれからも彼には生きる意志と希望が大いにあっただろうことを思わせる点。例えば、死後発表された遺作群などは、未完のものも含め音楽は生き生きとする。
大きな調性的形式でまとめあげられた多様で明るい開放的で表情豊かな要素は、バルトークのこれらの曲を非常にポピュラーなものにしている。これは、20世紀の作曲家の場合には珍しく、その後期の作品が、初期の芸術的にもかなりの影響力を持っている作品を上まわって一般的に広く知れわたった例である。
~E・ソーズマン著/松前紀男・秋岡陽訳「音楽史シリーズ 20世紀の音楽」(東海大学出版会)P111
上記は40年以上前に著された小論ゆえ、その解釈に若干の違和感を覚えつつも概ね納得。モーツァルトと同じく後世に彼に追随できる作曲家はおらず、いわば孤高の天才。完璧主義者、ベラ・バルトーク。あらゆる音楽的挑戦を経由して、彼が行き着いた先は、どこをどう切り取ってもバルトーク以外成し得ることのできなかった世界であり、筆舌に尽くし難い感動をどんなときも与えてくれる。
生涯を通じ、根気よく続けた民謡採集という仕事そのものが、バルトークの性格を見事に言い当てる。そしてその積み重ねが独自の世界を築き上げたのだと思う。
バルトーク:
・2台のピアノ、打楽器と管弦楽のための協奏曲Sz115
タマラ・ステファノヴィチ(第1ピアノ)
ピエール=ローラン・エマール(第2ピアノ)
ナイジェル・トーマス(第1パーカッション)
ニール・パーシー(第2パーカッション)
ピエール・ブーレーズ指揮ロンドン交響楽団(2008.5録音)
・ヴァイオリン協奏曲第1番Sz36(遺作)
・ヴィオラ協奏曲Sz120(シェルイ・ティボールによる補筆完成版)(遺作)
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
ユーリ・バシュメット(ヴィオラ)
ピエール・ブーレーズ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(2004.3録音)
ブーレーズの音楽作りは相変わらず知的だ。
作品を完全に自分のものとし、その解釈に独奏者を巻き込むエネルギーがある。冷静な中にある熱はここでも健在。
階段を駆け上がるように高揚する「2台のピアノ、打楽器と管弦楽のための協奏曲」第1楽章アッサイ・レントはバルトークの傑作のひとつだが、エマールをはじめとする4人のソリストとの呼吸も抜群に合っている。縦横に音楽が躍動する様に興奮を禁じ得ない。
あるいは、第2番にどちらかというと知名度が劣る第1番協奏曲のクレーメルの独奏は、この人がアルバン・ベルクの協奏曲で見せた「切り詰められた緊張感」に引けをとらぬ名演奏(第1楽章アンダンテ・ソステヌートの艶めかしい怖れ!)。確かにこの作品がこんなに素晴らしい響きをみせるのは少なくとも僕には初めての体験。
そして、極めつけはユーリ・バシュメットを独奏に迎えた遺作ヴィオラ協奏曲!(何と悲しいヴィオラ)
この未完の遺言をユーリは愛情をもって表現する。オーケストラ部分はほとんどティボールによる補完だが、少なくとも独奏部、特に第1楽章モデラートの哀感が身に染みる。
ところで、亡くなる1ヶ月半前のペーテル宛ての手紙には、自身の病のことなどすっかり忘れて息子を思う父の深い愛情が美しく刻まれる。
ここ(サラナクレイク)には忘れずに暖かい服装を持ってくること。ここはかなり寒いはずで、特におまえは赤道付近に長くいた後だから、すぐに風邪を引いてしまう。
(1945年8月11日付、ペーテル宛)
~ペーテル・バルトーク著/村上泰裕訳「父・バルトーク―息子による大作曲家の思い出」(スタイルノート)P445
何という気遣い!!
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