「関係性」という視点を忘るべからず

mahler_8_rattle.jpgとても当たり前のことだが、物事は単独では存在し得ない。全てが「関係」の中で成り立っている。問題も「関係」の中で起こる。よって、問題を解決する術は「個」に意識を向けるのではなく、全体で捉えること、すなわち「関係性」の分析から始めることがポイントである。これは間違いない。
心に余裕がなくなると、ついつい「思い込み」が生じる。「思い込み」はコミュニケーション障害のひとつの形のようなもので、それをきっかけに時に大きな問題に発展することがある。こういう問題も「関係性」というものを常に意識することで回避することができよう。「木を見て森を見ず」ではなく「木と森とを両方の観点からしっかり見る」のである。この視点から徹底的に人を見、セミナーにて提示すれば絶対に良いものになると確信する。

明日から2日間、また山中湖での「新人合同合宿研修」。今回はまたどんな若者と出会えるのだろうか・・・。楽しみだ。

年に何度か無性にマーラーの第8交響曲を聴きたくなるときがある。いくつもある音盤の中からランダムに取り出し耳を傾けると、「宇宙の音」が部屋中に鳴り響く。その音塊の中に身を浸し、あえて「心静かに」身を委ねてみる。

マーラー:交響曲第8番変ホ長調
クリスティン・ブリュワー(ソプラノ)
ゾイレ・イソコスキ(ソプラノ)
ユリアネ・バンゼ(ソプラノ)
ブリギット・レンメルト(メゾソプラノ)
ジェーン・ヘンシェル(メゾソプラノ)
ジョン・ヴィラーズ(テノール)
デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(バリトン)
ジョン・レリア(バス)
バーミンガム市交響合唱団、ロンドン交響合唱団、バーミンガム市ユース合唱団、トロント児童合唱団
サー・サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団

ラトルのマーラーは明るい。そして一切もたれることなく飄々と流れていく。おそらくこの演奏に否定的な見解を持つ諸氏も多いことだろう。もっとマーラーらしく暗鬱に、そしてもっと粘っこく・・・。要望を出せばキリがないほど「×」がつくパーフォーマンスかもしれないが、それでもこういうローカロリーなマーラーを時に欲するのだ。極めて21世紀的な「新しい」マーラー。
ラトルがマーラー畢生の大作を録音するにあたり、オーケストラに古巣のバーミンガム市響を据えたのは、やっぱり「関係性」を意識してのことじゃなかろうか。ソリストの力量はともかくとしてオーケストラの表現は素晴らしいと僕は思う。以心伝心・・・。

例によって満月の断食日。身体が軽くなってゆく。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>「思い込み」はコミュニケーション障害のひとつの形のようなもので、それをきっかけに時に大きな問題に発展することがある。
「思い込み」は危険ですね。車の運転でいえば、「こんな所に歩行者はいないだろう」、「譲ってくれるだろう」といった楽観的予測に基づいた、「だろう運転」の状態ですね。おっしゃるように、自分の存在は、社会や環境、他人などとの「関係」の中で成り立っていることを意識して、何事も行動するべきですね。
>要望を出せばキリがないほど「×」がつくパーフォーマンスかもしれないが、
減点主義は、組織の活性化を阻む、最大の要因です。ラトルの指揮の、失敗を恐れぬ冒険心、私も高く評価しています。ラトルの年齢で円熟した芸を聴かせろというほうが間違っています。彼とバーミンガム市響の若々しいマーラー、大好きです。減点主義の好きな人は、ハイティンク&シカゴ響でも聴いていただければよろしいかと・・・。
・・・君たちが「伝統だ」と主張していることは、「今までどおりにやって楽をしたい」という意味でしかない。・・・グスタフ・マーラー

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>ラトルの指揮の、失敗を恐れぬ冒険心、私も高く評価しています。
ですよね。若い頃は「リスクを冒す」ということも大事ですね。
ラトルの凄いところは「ひとりよがり」じゃないというところだと思うんです。「関係性」というものがわかって、かつ「自己表現」を思う存分しているところじゃないでしょうか。
>君たちが「伝統だ」と主張していることは、「今までどおりにやって楽をしたい」という意味でしかない。
このマーラーの言葉、身に染みますねぇ。

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