
僕がヴィレム・メンゲルベルクを初めて聴いたのは高校2年生のときだった。
京都の岡崎公園で開催されていた輸入盤フェスティバルで手に入れたチャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調作品64だったが、SPレコードからのその復刻は、切れ目があからさまにわかる、とんでもないものだったので、録音の悪さも手伝って、しばらく、というかほぼ永遠に聴き返すことなく、棚の奥に仕舞われることになった。
メンゲルベルク指揮ベルリン・フィルのチャイコフスキー交響曲第5番(1940.7)を聴いて思ふ 時代が下り、復刻技術も進化する中で、あらためて聴くメンゲルベルクの数々の録音は、いつの間にか僕の心をとらえて離さない、最高の芸術となっていた。その最たるものが、オーパス蔵による復刻であり、いずれもがメンゲルベルクという指揮者の真骨頂を示す傑作揃いだった。
メンゲルベルクのフランク(1940録音)を聴いて思ふ メンゲルベルクは楽譜に準じて解釈する指揮者ではなかった。
独断での浪漫の解釈は、今となっては賛否両論だろうが、そもそも音楽というものが、本来言葉にできないものであり、まして楽譜が作曲家の頭の中で鳴っていた音楽を記号にしたものに過ぎなく、それを再生する芸術家の力量によることが大きいことを考えると、計算された即興とでもいうのか、そういう方法はひょっとすると最も正しいあり方なのではないかとさえ思う。それくらいに、自由自在のブラームスが、チャイコフスキーが、僕の心に、魂にまで響くのである。
交響曲第5番と同じく、チャイコフスキー自身は「やっつけ仕事」として評価しなかった「1812年」は、さすがのメンゲルベルクの棒により勇ましく、そして旋律豊かに披露されている。たくさんの引用がある、戦勝を祝う音楽は、破竹の勢いのナチス時代にあり、そして、親ナチだった(?)メンゲルベルクのやはり真骨頂を示すものだ。
以下、(録音にまつわる興味深い内容なので)ライナーノーツから引用する。
ボロディンの録音日はまだソ連とは仲のよい時であるが、発売の頃は先頭の真最中ではなかったろうか。1940年にはチャイコフスキーの1812年、交響曲第5番、ピアノ協奏曲第1番のセッション録音、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、第3番(ライブ)、1941年4月には「悲愴」交響曲再録音とボロディンが記録にあるが、ソ連侵攻後はロシア音楽の演奏(少なくとも録音)はない。ということはこのボロディンは本当に出たのだろうか、あるいは極く少数しか出なかったのではないかと思う。
内容的に興味深いのは「1812年」である。オランダやフランスへの侵攻が噂される中での、侵攻される側の録音である。メンゲルベルクはドイツ信仰が強かったから余り動揺はなかったかもしれない、楽団員はどうだったであろうか。しかも曲はフランス軍の敗退を描いたものである。実際、録音のちょうど1月後にはナチスドイツのオランダ侵攻が始まっている。レコードの発売はいつか不明であるが、フランスの降伏が早かったので進軍の景気づけには間に合わなかっただろう。しかしフランス敗北の記念録音としては役に立ったかもしれない。
テレフンケンがゲッベルス宣伝相と企画の了解を得ていた可能性は高いが、「1812年」の録音も時局の情勢とつながった政府お墨付きの企画であったと思われる。ただ、ロシア(ソ連)からの退走というその後の自分たちの運命を暗示することまでは思いつかなかったであろう。
(相原了「ロシア音楽の録音について」)
~OPK 2104ライナーノーツ
ヒストリカル録音を聴く愉しみは、歴史の一端を共に体験することにある。
オーパス蔵(サイトはすでに閉鎖されているようだ)に感謝だ。
