カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルのシューベルト交響曲第3番を聴いて思ふ

schubert_c_kleiber何という音の奔流。シューベルトが流れる水の如くうねり、唸る。
アレグロ・マエストーソの劇的かつ雄渾な序奏はまるでベートーヴェンのよう。そして、主部アレグロ・コン・ブリオでは、ハイドンやモーツァルトの影響こそ見られるものの、18歳のシューベルトの、先達を超えんとするばかりの気概に満ちた音楽が鳴り響く。展開部は短いが、その分静かな旋律美に満ちる。なるほど、それは、再現部の主題の躍動をより活かすための手であることがその後わかる。
第2楽章アレグレット以下、第3楽章メヌエット、第4楽章プレストはごく短いものだが、音楽の美しさは後期の彼を髣髴とさせ、僕は大いに惹かれる。そう、時に辟易とさせられるあの冗長さがない分、ここではフランツ・シューベルトの本懐を十分に堪能できるのである。

大切なことは、決して重要作とは考えられていないだろう(?)この作品を、カルロス・クライバーが正規録音したところ。この小さくも直接的な喜びに溢れた音楽こそカルロスの性質にぴったりのものであり、ここに彼の芸術のすべてが含まれていると言っても過言でないくらい。

1992年のはじめにウィーンフィル創設150周年を記念しての世界演奏旅行が計画されている。その際、カルロス・クライバーがウィーンフィルを指揮する。それが聴衆も演奏者も全員が忘れられないような出来事になることを、私は期待している。恐らくフルトヴェングラーのコンサートの後しばしば見られたように、見知らぬ者同士が幸福につつまれ、ホールで抱き合うようなことが起こるだろう。その時、音楽はその最も高貴な目標を今再び達成するであろう。それは音楽が、この危険な時代に生きる人間同士を近づけることであり、また精神的に満たされることによって、戦いをなくすことである。人間は共に今世紀の発展の問題に立ち向かい、それを克服するという唯一の機会を試みるであろう。音楽が再び民族相互理解のためにモザイク石を差し出すという、全ての前提条件が与えられた。われわれはこれをかなえられることを期待したい。
(アーダルベルト・スコチッチ/桑原めぐみ訳「カルロス・クライバーとの出会い」
~WAVE31「カルロス・クライバー」P149

2月にパリ公演、そして3月にはいよいよ東京公演という直前、残念ながらカルロスはいつものようにキャンセル、代役でジュゼッペ・シノーポリが指揮台に立ったのは周知の事実。今考えても痛恨事だが、あれから四半世紀近くを経たまさに現代においてこそスコチッチの言う「音楽が再び民族相互理解のためにモザイク石を差し出す」ことのできる、そして「見知らぬ者同士が幸福につつまれ、ホールで抱き合うようなことが起こるだろう」指揮者の登場が必要なのでは。音楽性にもスター性にも長けた音楽家こそが待望される。

シューベルト:
・交響曲第3番ニ長調D200
・交響曲第8番ロ短調D759「未完成」
カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1978.9録音)

ちなみに、交響曲第3番が創作された1815年は、助教師として多忙だったにもかかわらず、シューベルトにあって創造の泉がまったく枯れることなく奔出した年。ゲーテの詩に音楽を付したかの「魔王」も同じ年のものだ。最初のピアノ・ソナタを書いたのもこの年。
超有名曲「未完成」交響曲が、ある意味霞む。

 

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CARLOS KLEIBER "I am lost to the world" (2011)を観て思ふ | アレグロ・コン・ブリオ

[…] 映像の中の白眉は、断片ながらバイロイト祝祭劇場のピットでの「トリスタンとイゾルデ」のリハーサル。相変わらず蝶のように舞うカルロスの座っての(真正面からの)指揮姿に金縛り。これほど「トリスタン」が生命力豊かに響くのを聴いたことがないくらい(映像と音はおそらく別のものを上手に編集しているのだろうと思う)。ちなみに、BGMで使用されるシューベルトの「未完成」交響曲も絶品。 […]

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