史実とは異なる。
原作であるシラーの「オルレアンの乙女」からの改変も多々。
しかし、確かにジャンヌ・ダルクは法を得た聖女だったのかもしれないと思った。
終幕の葬送のシーンでは満月の下で父の眼前で彼女は復活する。
天からの光が彼女の白い顔を照らしている。
乙女の体から清らかな香気が波のように漂ってくる。
この奇蹟に父ジャコモは「死が打ち負かされた」と唸った。
月がいつの間にか太陽に変貌する中、ジョヴァンナ・ダルコ(ジャンヌ・ダルク)は、聖母を讃える。
私に一緒に来るようにと、そう望んでおられるのです。
ああ、死んではいけない、生きるのです。
生気に溢れるフィナーレの大団円に得も言われぬ感動を覚える。
・ヴェルディ:歌劇「ジョヴァンナ・ダルコ」
スヴェトラ・ヴァシレヴァ(ジョヴァンナ、ソプラノ)
レナート・ブルゾン(ジャコモ、バリトン)
エヴァン・ボウラーズ(カルロ7 世、テノール)
ルイージ・ペトローニ(デリル、テノール)
マウリツィオ・ロ・ピッコロ(タルボット、バス)、ほか
ブルーノ・バルトレッティ指揮パルマ・レッジョ劇場管弦楽団&合唱団
ガブリエーレ・ラヴィア(演出)(2008.10.7&17Live)
戦いと恋の間で苦悩する乙女の物語に、父子の愛の深さを思う。
誰が私を引き留めるの?
ああ、予言の森よ、
私のお父さま、私の小さな小屋よ
昔の素朴な服に身を包み、ジョヴァンナはあなた方の許へ帰ります。
第1幕、カルロ7世の求愛に恋に落ちるも、ジョヴァンナの心を占めたのは父だったのか・・・。
第2幕、ジョヴァンナは自身の存在価値についての自問自答をする。
ここでは天が自由に開けていて
清らかな風がそよいでいる。
あの騒がしい宮廷では心が失われそうだった。
不思議な当惑が私を揺さぶって
それについて考えるのが恐ろしい。
賞賛も私には重荷だった。
私に課された務めを果たして
フランスの地が救われた今、私はなぜここにいるの?
こういう本音の解放、真面目な心情吐露がジョヴァンナの神髄。
真に強い者は正直なのだ。
一方、第3幕での父ジャコモの嘆きが哀しい。そして、ここでのレナート・ブルゾンの(歌も演技も)巧さ!!その感情移入は並大抵でない。
老人にとっての希望は娘だった。
死に行くわしを娘が看取ってくれるはずだった。
酷い苦しみよ!
その娘をわし自身が弾劾に来るとは。
恥辱の苦悩の生贄をわしは生に捧げよう。
どうかあの憐れな娘が永遠の劫罰から逃れられるように!
父の愛は実に深い。
1845年2月15日にミラノ・スカラ座で初演された第7作「ジョヴァンナ・ダルコ」は、決して人気作とは言えないものの、ヴェルディ初期の溌剌たる清らかさと直接的でわかりやすい音楽が心地良い。
きびきびとした音楽に乗る歌手たちの歌唱といい演技といい素晴らしい。
2008年、パルマ・レッジョ劇場での公演の成功は、何よりこの5年後に生を終えることになる巨匠ブルーノ・バルトレッティの老練の棒に依るところが大きい。拍手喝采。
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ヴェルディのこのオペラについて残念ながら知識は全然持ち合わせていませんが、勉強不足の私には、宗教と百年戦争のヒロイン、ジャンヌ・ダルクを称賛する気には到底なれそうにありません。
>雅之様
歴史上のジャンヌ・ダルクを取り扱いながら、このオペラの主人公はまったく別個性です。
賞賛云々は横に置いて、「ジョヴァンナ・ダルコ」として音楽を純粋に鑑賞してみるとなかなか興味深いオペラであります。