
神からは一切が清らかに流出する。私が幾度か情念のため悪へ混迷したとき、悔悟と清坺を繰り返し行なうことによって私は、最初の、崇高な、清澄な源泉へ還った。—そして、「芸術」へ還った。そうなると、どんな利己欲も心を動かしはしなかった。常にそうあってくれるといい。樹々は果実の重みにたわみ、雲はさわやかな雨に充ちるときに沈降する。人類の善行者たちも自分の豊かな力に傲りはしない。もしも重い睫毛の下に涙が膨らみ溜まるならば、それが溢れ出ないように、つよい勇気をもってこらえよ。通る径があるいは低くなり、正しい道の見究めがたいこの世のお前の旅路において、お前の足跡は確かに坦々たるものではないであろうが、しかし徳の力は、つねに正しい方向へお前を前進せしめるであろう。(1815年)
~ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)P171
ベートーヴェンが西洋音楽家の中で唯一「もと来た理」に還った人であることが、1815年に記したこの文章からもよく理解できる。楽聖は間違いなく(世界の、自然の、宇宙のからくりが)わかっていた。
ちなみにその頃、ベートーヴェンの内面とは裏腹に、外的世界は(ナポレオンの敗北など)激動だった。
1815.06.18 ワーテルローの戦いで、再びウェリントン将軍によりナポレオン敗北 「百日天下」終わる
1815.07.07 連合軍:改めてのパリ入城
1815.07.08 ルイ18世復位
1815.09.26 神聖同盟(ロシア・プロイセン・オーストリア)成立
ヴェネツィアとロンバルディアがオーストリア領に回復
1815.10.14 ナポレオン:捕虜となりイギリス領セント・ヘレナ島着
~大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P306
また、同年10月11日は歌劇「フィデリオ」がベルリンで初演され、ついに大成功を収めた(いよいよベートーヴェンの精神は一層の高みへと昇り詰めて行く)。






私はあなたのソナタを出版社に提出しましたが、彼らが言うに、それらは難しすぎ、売れニアだろう、とのこと。
(1816年10月29日付、ニートのベートーヴェン宛書簡)
~同上書P323
しかしながら、作品102はなかなか出版のめどが立たなかったようだ。
ベートーヴェン後期の精神世界への扉が開かれる。
ベートーヴェン:
・チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69(1808)
・チェロ・ソナタ第4番ハ長調作品102-1(1815-16)
・チェロ・ソナタ第5番ニ長調作品102-2(1815-16)
・ヘンデルのオラトリオ「マカベウスのユダ」の主題による12の変奏曲WoO45(1796)
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(1992.12録音)
時に沈潜しながら、マイスキーのチェロがうねる。
同時にアルゲリッチも沈思黙考、例えば、第5番ニ長調第1楽章アレグロ・コン・ブリオはいかにもベートーヴェンという曲想で、溌剌たる音調。続く第2楽章アダージョ・コン・モルト・センティメントの深遠なる抒情はマイスキーとアルゲリッチの真骨頂。
2つの楽章で構成される第4番ハ長調は陰陽相対の顕現であり(調性はハ長調!)、この泥沼の仮の世界を借りつつ、ベートーヴェンが真を知ろうとする強力な意志の反映だ(実際には5部からなる単一楽章であるという見方もあることから相対から絶対への象徴だとも考えられる点がミソ)。身震いするほどの名曲を、ぴったり息の合った二人が奏でる渾身の演奏だ。

