バックハウスの「皇帝」

beethoven_5_backhaus_schuricht.jpg午前中、新宿文化センターにて「ワークショップZERO~人間力向上セミナー」のショート・プログラム。基本的には2日間の本コースを受講いただいた方の継続プログラムとして計画したものだが、セミナー情報サイト(セミナーズセミナー情報.comなど)に登録したところ、格安ということもあり、何人かのお申し込みをいただき、また既受講者が友人をお誘いくださることも手伝って10名ほどの方にお集まりいただけた。

前回同様、人間関係、コミュニケーションに的を絞りいくつかの体験ワークを提供させていただいたが、少々詰め込みすぎだったかもしれない。短い時間ながらひとつの実習に特化して掘り下げた方がもっともっとご理解いただけたのではないかと思うのである。6月は2回開催する。「言葉」を要さない「コミュニケーションの真髄」について教示しようと考えている。今から楽しみだ。「対話」というのは盲目的に相手の言うことを受け容れることではない。自分の主張もとことんし、時にはぶつかり喧嘩をしながらも、最終的には承認ポイントを見つけ互いに昇華し合うという微妙なニュアンスを伴う交流だと僕は思うのだ。

昨日はケンプの、今日はバックハウスの「皇帝」を聴く。といっても、シュミット=イッセルシュテットとのスタジオ録音盤でもなければ、クラウスとのそれでもない。1961年4月27日、ルガーノでのシューリヒトのバックによる実況録音。以前Ermitageというレーベルで超廉価盤にてリリースされたものを仕入れたのだと記憶するが、しばらく棚の奥にしまってあったのを思い出して、取り出した。バックハウスのライブ録音はいつだったか話題にしたクナッパーツブッシュとの奇妙奇天烈な演奏が有名だが(ほんとか?!)、このシューリヒトとの協演はびっくりするくらいの躍動感と生々しさで、ひょっとするとバックハウスの「皇帝」の中で最高の名に値する演奏かもしれない。昨日ふみ君がくれた「第1楽章冒頭のピアノの上昇音型から腰を抜かすほどの威厳と気品に満ち満ちている」というコメントの表現はまさにこの演奏のためにあるのではないかと思われるほど。第2楽章の静謐な「祈り」の表現も他の追随を許さない。やっぱりバックハウスもシューリヒトもライブの人である。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550
メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」作品26
ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
カール・シューリヒト指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団(1961.4.27Live)

推進力抜群で、これほどエネルギーに満ちた「皇帝」協奏曲は稀じゃなかろうか・・・。宇野先生が賞賛するルービンシュタイン&バレンボイムの音盤を愛聴してきた僕だが、録音の良し悪しを別にすればあれを超えるかもしれない。実演では1992年だったか件の宇野先生がバックを務めたエリック・ハイドシェックの新宿文化センターでのものを聴いてぶっ飛んだが、その時の記憶に優るとも劣らない臨場感なのである(宇野先生に昔新星日響とのコンビでやったような「オーケストラ・リサイタル」をぜひ復活してもらいたいと願うのは僕だけか?)。ピアニストは共演者を選ぶ。ソリスト、指揮者双方がぶつかりながらも互いが昇華されてゆく様。そう、それはヘーゲルの言うaufheben(止揚)という表現に近い。1×1が10にも100にも変貌する。

協奏とは一種「喧嘩」でもあり、「受容」でもあるのだということを、このバックハウス&シューリヒトの演奏が証明してくれる。


14 COMMENTS

雅之

こんばんは。
ご紹介のバックハウス&シューリヒトのライヴ録音は未聴ですが、さぞ凄いんでしょうね!
でも、今日はふみさんに敬意を表し、また自分の価値観をかなぐり捨てて、私のおすすめ盤はピリオド・アプローチでどうだっ!・・・。でも手持ちは1枚しかない!
それは、レヴィン(ピアノ)ガーディナー(指揮)オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティク のCDです。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/666022
ライナー・ノーツによると、ピアノは「皇帝」がサルヴァトーレ・ラグラッサ(1812年) 、第4番はヴァルター(1805年頃製)のコピー(by PaDL McNDLty,1997) です。
演奏は、うーん微妙(笑)。
ふみさん、責任持って「皇帝」のオリジナル楽器演奏の推薦盤を紹介してくださいよ!
ふみさんとの「対話」に触発され、今度の休日、家族で浜松市楽器博物館に行くことに決めました。
http://www.gakkihaku.jp/
各時代のいろんな古いピアノも見ることができます。楽しみ・・・

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
ピリオド・アプローチの「皇帝」は聴いたことがないですねぇ。
レヴィン&ガーディナーのこの音盤は発売当初話題になったことは覚えていますが、いかんせん先入観が先行して、手に取ることすらしておりません。やっぱり演奏は「微妙(笑)」なんですね・・・。ぜひオリジナル楽器の推薦盤をふみ君に紹介してもらいましょう(笑)。
家族で浜松市楽器博物館ですか(もちろん僕は行ったことありませんが)!仲良いですね。楽しんで行ってらしてください。

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ふみ

こんにちは。
始めに自分のコメントをブログに載せて頂きありがとうございます。岡本様に同感を頂けて誇りに思います。
>今日はふみさんに敬意を表し、また自分の価値観をかなぐり捨てて、私のおすすめ盤はピリオド・アプローチでどうだっ!・・・。でも手持ちは1枚しかない!
ありがとうございます(笑)!恐縮です。ピリオドのおすすめ盤についてですがあっさり言いますが、無いです(笑)やはり皇帝のような質実剛健な楽想にはピリオドは無理でしょう。誤解を招かないように。。。僕はピリオドを特別好きなわけではありません。以前にも言ったようにあくまで僕は公平な立場です。
僕が言いたいのはピリオドを聴く上で[過去への回帰]を試みるという姿勢に美学を感じているわけではありません。僕はあくまで過程がどういうものであれ結果的に生まれた音楽に説得力があり素晴らしい演奏ならそれで良いんです。実際にアーノンクールはモツのレクイエムでバイヤー版を使っています。過去への回帰にだけ美学を置くならジュスマイヤー版を間違いなく使うでしょう。他にはノリントンは[所詮自分たちがやってることは音楽だ]と言って必ずしも学者が提唱したセオリーを信じているわけではありません。ピリオドの意味が過去への回帰が全てなら学者が指揮すれば良いんです。僕はピリオドはあくまで一つの解釈として捉えています。アーノンクールやミンコフスキなどの演奏はピリオド奏法を通して音色の微妙な変化や弱音の繊細さ、透明性を取り入れ音楽に魅力を持たしています。そういった事は間違いなくモダン楽器では不可能です。僕が言いたいのはそこなんです。過去の演奏形態とは異なることなんてアーノンクールを始めとした実力のあるピリオド指揮者自身とっくに分かっていることでしょう。証拠に彼らはヴィブラートとノンヴィブラートを混ぜたり使い分けたりしています。そんな演奏方法、昔には絶対無かったでしょう。それをする目的は簡単です。決して過去の演奏に近付けようとするのではなく、音色の追及です。僕はその音色が単純に好きなんです。モダンでは濁ってしまうような部分をピリオドでは解決し実に透明的で切ない音色を出したり出来ます。ミンコフスキのモツ40、41番がその典型的な証拠です。勿論、ピリオドにも欠陥はあります。典型的な例では空間的な巨大さを出せないことです。どうしても音の広がりや突き抜ける感覚がモダンに比べると落ちます。そういう意味でも僕は決してピリオドに関しては一方的な賛同者ではありません。僕にとってはいわゆるピリオドもただの一つの解釈なんです。例えばマーラー演奏にはバーンスタインやテンシュテットのような解釈方法があれば、アバドやMTTのような解釈だってあります。チャイコでもゲルギエフのようなのもあればムラヴィンのようなのもあります。モツにもベームがあればワルターがあってアーノンクールがあって。。。ただ僕の中ではそれだけです。自分が信じるのは生意気ですが自分の耳で聴きどの解釈がいかに説得力があるか、この一点だけです。他人がどれだけ褒めようと自分で納得できなければ自分にとってその音楽は所詮そんなもんなんです。実際、自分自身バーンスタインのマーラーとゲルギエフのチャイコは一部のリスナーで好評価なのでこれを理解しようと頑張って聴いていたんですが途中でどうしても我慢出来なくなって洗面台で吐きかけたんです。頭で考えたんではなく体が拒絶反応を起こしたんです。こういった演奏まで素晴らしいと果たして言えるのか?と思うんです。岡本様、雅之様お二人にはバーンスタインのマーラー演奏が素晴らしく聴こえるのかも知れません。でも、僕にはただの吐き気を催す音楽にしか聴こえないんです。これと同じで僕にってはピリオドの演奏が府に落ちる時もあればお二人にとっては気に食わないものである時だってあるわけでして。個人的な考えでは例を挙げるとモツ41番やベトの前期交響曲1、2、4番などはピリオドアプローチによる鋭角的な演奏も的を居たものだと思っています。だからといってもちろんモダンによる演奏を差別的に嫌いなわけではありません。モツ41番では以前も述べたようにクーベリックや岡本さんから御紹介して頂いたヨッフム、ベトではムラヴィンやフルヴェンなど素晴らしいと思う演奏はいくつでもあります。
大変回り道をして長くなりましたが結論はピリオドは僕の中では所詮ただ一つの解釈なんです。そのアプローチが個々の楽想に合うかどうかがピリオドを判断する最も大きな要因です。あくまでいかに過去の演奏形態に近いかどうかのような過去への回帰ではありません。実際、雅之さんのおっしゃる通りベトの弦四など中期から後期にかけてはピリオドでは限界があると思います。
雅之さんが以前に御紹介した記事知ってますよ!4年ほど以前にTVで見ました。確か始まりはイギリスだったと定かではありませんが記憶しています。実際、4年程前兄とすみだトリフォニーホールに行った際錦糸町駅にはすでに設置されていました。そそくさと帰って来たものです(笑)
あっ、皇帝のおすすめ版を紹介出来ていないのでほかの演奏を(笑)シュタイン/VPOとグルダも良い演奏だと僕は思います。
シュタイン絡みで是非とも岡本様、雅之様にお伺いしたいことがありましてシュタイン指揮のシュミット[7つの封印の書]をお持ちではありませんでしょうか?ずっと探しているのですが見つけられずにいます。お二人ならと思ってお伺いした限りなんですが。。。正直、グルダとの演奏をおすすめさせていただいた理由もこれが聞きたかっただけだったりするんですが(笑)

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岡本 浩和

>ふみ君
懇切丁寧にありがとう。なるほどよく理解できました。
グルダ&シュタインのベートーヴェンはいいよね。名演です。
ところで、お探しの「シュタイン指揮のシュミット」は下記じゃないのか?普通にネットで売られてるけど・・・。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2739136

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ふみ

岡本様
普通に売られてましたね。。おかしいなぁ。前は見つけられなかったような気がするんですが。しかし、ご紹介大変ありがとうございます!
雅之様
僕の人類最高のマタイというのは以前にも述べたように一つのエクスプレッションです。今までマタイを聴いてここまで感動したことがなかった。その感動が果てしなく尊いものだった。ただそれだけなんです。僕にとって彼のマタイは今の時点では未だに人類最高のマタイだという認識は変わってません。

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雅之

ふみ様
更にふみさんに質問です。

ワルターのモーツァルトとメンゲルベルクのマタイで、天と地くらいふみさんの評価が違うのは何故ですか?両方同じ時代様式の演奏スタイルだと思うのですが・・・。当然両方実演を聴かれたんですよね?時代背景や当日の会場の雰囲気、音色や楽器編成なんかも、全部理解されてるんですよね?

>やはり皇帝のような質実剛健な楽想にはピリオドは無理でしょう。
>ピリオドにも欠陥はあります。典型的な例では空間的な巨大さを出せないことです。どうしても音の広がりや突き抜ける感覚がモダンに比べると落ちます。
>ベトの弦四など中期から後期にかけてはピリオドでは限界があると思います。
何でピリオド奏法を、そんなふうに決めつけるんですか?
それって、ピリオド奏法の演奏家を侮辱していませんか?

>彼らはヴィブラートとノンヴィブラートを混ぜたり使い分けたりしています。そんな演奏方法、昔には絶対無かったでしょう。
例えば、クライスラーは、1920年代には既に実践していますが、このへんの録音は、当然ちゃんと聴かれて発言されておられるんですよね?

>以下のアーノンクールの演奏は正直僕はワルターや昔の往年の指揮者が無駄にモツを過大評価して空間的に巨大な演奏を目指し油ギトギトでねばちっこく、かったるくなってしまった演奏よりよほど説得力があり感動しました。
>岡本様、雅之様お二人にはバーンスタインのマーラー演奏が素晴らしく聴こえるのかも知れません。でも、僕にはただの吐き気を催す音楽にしか聴こえないんです。
私の先日からの最大の疑問は、何故ふみさんは、現代の誰かの演奏を評価される時に、返す刀で、実演を聴かれたこともない過去の演奏家を貶めるのか?という一点です。それは「夜郎自大」ではないかと感じるのですが?
http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/koji/kj052.html

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岡本 浩和

>雅之様、ふみ君
だいぶ議論が白熱しそうですね。ブログ上だといろいろと誤解を生みやすいので、近い将来対面で話をしたいですねこの件は。

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雅之

同感です。
私も近い将来のオフ会を想定してなきゃ、逆にここまでは書きません。
ぜひ、ふみさんとは、久しぶりにお会いしたいです!
その際には、海外での貴重なご体験など、いろいろとご教示をお願いします!

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ふみ

>雅之様
1、ワルターとメンゲルベルグは確かに時代や演奏様式は近いです。しかし、以前も述べましたが僕が音楽を聴く上で大切にすることはどのようなアプローチであれ結果的に音楽が説得力を持っているかどうかです。バッハのマタイではメンゲルベルグのアプローチは実に説得力があり感動した。ワルターのモツは説得力に欠けあまり感動出来なかった。そこに同時代も演奏形式もありません。同じ演奏様式だからといって両方同じように感動するわけがありません。まず、バッハとモツという作曲家自体が違うわけですから同じ演奏様式で演奏された場合、片方は感動し、もう一方は感動しないといったことは当然なことだと思います。雅之様でもそういった経験はおありかと予想しますがいかがでしょう。例えば(あくまでも例えなので雅之様の経験にあてはまるかどうかは約束致しかねます)バレンボイムのモツとフルヴェンのベト。演奏様式は非常に似通っています。まぁ、子弟なので当たり前ですが。しかし、片方は感動し片方には感動しない。またバレンボイムのワーグナーの実演では感動し弟子のエッティンガーのマーラーなんて演奏様式はほぼ一緒ですが感動しなかった。その要因は時代や演奏様式ではないはずです。後、僕自身の考えなのですが[実演で聴かなければ評価する資格は無い]といった言い分には僕はある程度は賛同出来ますが全てが全て賛同はできません。まず、CD化を許した時点で指揮者、演奏者は公平な批評を受けるべきです。なぜなら彼らがそのCDはある程度は自分たちの演奏を表現し切れている、このCDなら自分たちの演奏を世に知らしめることが出来ると判断したからでしょう。確かにチェリなどは遺族がCD化を許したということで本人の意思ではなかったんでしょうが(なので、僕はチェリに関してはあくまで客観的な批評に止めています)。もし、そうでないなら実に無責任ですし批判がそんなに嫌ならムラヴィンのように全ての録音作業に携われば良い。ワルターのモツは絶対に100回以上は聴きました。しかし、それでも感動出来ないのをワルターファンは会場の雰囲気だの生で聴かなければ彼の創り出した音色は分からないだのその時代に生きていないから彼らの音楽は分からないだの、そんなのただのワルターファンのエゴで彼らのの記憶の美化にしか僕は聞こえません。なら逆になぜ生で聴いていない、会場の雰囲気を知らない、本当の音色だって分からないのに感動してワルターのモツやらバーンスタインのマーラーは素晴らしいと賞賛出来るんでしょうか?この論理は決して一歩通行のものではないと僕は思います。演奏を評価する側にだって評価する理由が必要です。ワルターのCDが全く彼の音楽を反映できていないとは僕は思いません(ここが僕と雅之様の大きな違いなのかもしれません)。勿論、1回や2回聴いた位でぼろくそにけなすのは聴き込みも努力も足りないと思いますがそれを理解しようと努力した結果感動出来なかったのをCDの責任にするのはあまりに説得力に欠けています。カール・ムックの1920年代に録音したワーグナー演奏なんか良い例だと思います。録音状態なんてワルター時期に比べると格段に落ちますが音楽の前進性や音の密度など(特にトリスタン前奏曲)神がかっています。ムラヴィンしかりです。何回も聴いてそういう音楽に迸る熱気や会場の凄まじい雰囲気を聴き取れなかったらその音楽は所詮そんなものです(もちろん努力あってのことです)。メンゲルベルグにそれを感じ、ワルターには感じなかった。ここに何か矛盾がおありでしょうか?是非、何かあるようでしたら御教授のほどよろしくお願い致します。これは僕の美学とは反するのであまり言いたくないのですが雅之様がそこまで実演が大切だとおっしゃるので言わせて頂きます。僕は左耳の聴力が生まれつき著しく悪く、その分右耳の聴力が超人的な友人を持っているんですが(ヘルツまで聞き分けられるほど)その彼がドイツかどこかでアーノンクール・VPOとの「楽園とペリ」を聴いたんですが(その時にはすでに彼はVPOは実演で20回ほど聴いています)その時のVPOは今までに聴いたことの無いような輝かしい音色を出し終演後体が硬直してしばらく動けないほど感動したらしいんです。そしてそのコンビが3年ほど前ですかね?来日した際、彼とその友人(彼もめちゃくちゃなへヴィーリスナーです)が関東だけでなく関西にまで追っかけてそのコンビを聴いたんです。曲目はベト、ブル、モツなどだったんですがその中でもベト7は歴史的名演だったと、終演後拍手が鳴り止まずアーノンクールの一般参賀?となったらしいです。実際、自分自身行ったヘンデルのメサイアも素晴らしい演奏で一般参賀でした。そして、その年の音楽の友の年間コンサートランキングでアバド・ルツェルン祝祭管やヤンソンス・RCOなど強敵を抑え1位に輝きました。勿論対象は実演に行った人のみです。雅之様はその公演全てに行かれましたか?もし、そんなに実演が全てで彼らや僕自身より実演を聴かれていないのであれば彼らや音楽の友に投稿した人たちの方が雅之様よりよほど説得力があるということになりますよ。他人のことばかりではなく自分の経験も交えて。まずはガーディナー。僕はロンドンで100近くの実演に触れましたがその中でもガーディナー・LPO(ピリス)とのベトコン3番は一つのハイライトです(後半の5番運命も良かったです。)ガーディナーのベトコン5番をいまいちとおっしゃるようでしたらその実演には行かれましたか?後、ハーディングです。僕は彼は生ではモツ、ベト、マーラー、ドヴォルザーク、ブル、バルトークなどを含め10回以上は聴いています。その中でもモツとマーラーは非常に説得力のある演奏でした。それらの実演にも行かれましたか?実演に行かなければといった話しになると必ずこういう議論になるんですよ。CDだけでは何も言う資格が無いというのであれば岡本様には大変申し訳ないのですがこのブログ自体問題だと思います。僕はそうは思わないのでこのブログに時間があれば進んでコメントさせて頂いています。これは僕の持論なのですが演奏家、指揮者が命懸けてやってんだから聴衆も評論家も命懸けて聴いて評論しろと言いたい。CDでは判断しかねるやら当日の状況が分からないやらそんな逃げ腰の左翼的評論するくらいなら評論家なんて辞めろと。所詮音楽がその人にとって人生の趣味・娯楽の一部ならBGMで聴いてろと。僕はそんな人に自分自身の評論に関して口を出すなと言いたい。口を出すくらいなら自分自身の考えや価値観を全て否定されてもかまわないという覚悟を持てと。少なくとも自分にとって音楽は人生の師です。日ごろ、聞き込みなどの努力をしているつもり

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ふみ

そうですね!是非ともオフ会でお会いできるのを楽しみにしております!その時までに一層造詣を深めておかないと。。。

返信する
雅之

またまた横レス、恐縮です。
ふみ様
私の意地悪な質問に対する、じつに丁寧で誠意あるご回答、ありがとうございます。
ふみさんの、昔の大作曲家や巨匠演奏家並みの強烈な個性と信念、とても気に入りました(ワーグナーもびっくり・・・笑)。
そうそう、そのくらい自信家で思い上がらないと、これからの未曽有の困難な新時代なんて切り開いて乗り越えられないですものね。立派です!ふみさんは。私も見習いたいものです。
せっかくの機会なんで感謝のしるしに、今、私がふみさんにぜひ聴いて欲しいと思っているCDをご紹介しましょう。岡本さんやまーの様には内緒だけど(笑)、先週久しぶりに男の本能で3枚ほどジャケ買いしちゃってね(笑)。そのうち2枚はしょーもなかったけど、1枚はバロック・フルートやヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロの、実に美しい音色で真に感動出来ました。
オトテール:フルートと通奏低音のための組曲集 前田りり子、市瀬礼子、コーネン
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3563002
ふみさんの審美眼にかなうかどうかわからないけど、たまには固いこと言わずに、ぜひ手に入れて、気楽な気持ちで聴いてみてください、きっと癒されますから・・・。
あっ、それとシュタイン指揮のシュミット[7つの封印の書]は私もCD持ってるど、勉強と聴き込みが不足でよく理解出来ていません。また、今度お会いする機会に、この曲についても、いろいろ教えてくださいね。
では今度ともヨロシク!

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岡本 浩和

>ふみ君
コメントはお気兼ねなくね。どんどん言いたいことを書いてもらって結構なので。
>雅之様
えらいまたマニアックな音盤ですね。面白そうです。
こういうバトルを「ナマ」でやってみたいですね。ま、僕はあくまでレフェリーですが(笑)。

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Fumi

大変遅れた横レス申し訳ございません。久しぶりに時間が取れましたので投稿させて頂きます。
>私の意地悪な質問に対する、じつに丁寧で誠意あるご回答、ありがとうございます。
いやはや、こちらこそ稚拙な文章申し訳ございませんでした。
>(ワーグナーもびっくり・・・笑)。
やはりブルックナー、ワーグナーを最も愛するものとして生半可なリスナーではいけませんからね!
CDのご紹介ありがとうございます!少しこちらでは手に入りにくそうなので帰国した際に即購入させて頂きます!やはりバッハも含めたバロック派の音楽は究極の癒しを持ってますからね。今から既に聴けるのが楽しみです!
僕もお礼の代わりといっては何ですが僕の愛聴盤を一つ紹介させて頂きたく思います。バッハのヴァイオリンソナタは個人的にはバッハの中で最も愛する作品の一つなんですがその中でラウテンバッハ-盤を。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1366306
シェリングと彼女が僕の中では最高のバッハです。もし、御存知でしたらすみません。。。
こちらこそこれからも宜しくお願いいたします!

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