マリア・ジョアン・ピリスのショパン「夜想曲全集」を聴いて思ふ

chopin_nocturnes_pires005水準と音楽の完成度からいってドイツの巨匠たちと並ぶべき地位を私が認める作曲家は、ただショパンあるのみです。
1954年のクルト・リース宛手紙より
仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)

時折ショパンをひもときたくなる。僕の音楽愛好人生のもうひとつの原点である。
本当に今はもうこの人の音楽を滅多に聴くことはなくなった。でも、フルトヴェングラーが言うようにショパンというのは西洋音楽史の突然変異的天才であり、唯一無二の存在であると僕も思う。そしてそれがゆえ、同じくフルトヴェングラーが論じるように、その音の柔軟さと輝きは確かに他に比類ないものだとも思うのである。

秋深まりゆくこの季節の夜更けにはやっぱり「夜想曲」だ。生涯にわたって書き綴られたこれらの音楽には、青春の想いを投影したものもあれば、老練の、過去への憧憬を映し出すものもある。そのいずれもが浪漫溢れる名曲で、独り静かに佇みながら耳を傾けるのにちょうど良い。孤独の音楽なんだ・・・。

ちなみに、ショパンの音楽は基本的にホモフォニーがベースにあるが、おそらく彼のヒーローは、ポリフォニーの大家バッハだ。そのことは友人の画家ウージェーヌ・ドラクロワの日記を見ればおおよそわかる。

一日中、彼は私に音楽を語った。そしてこれが彼を元気づけた。音楽においてはなにが論理を設定するのか、という質問に対して、彼は、ハーモニーと対位法であることを私に理解させた。そしてさらに、フーガが音楽においては純粋論理のようなものなので、フーガに精通することは、音楽上のすべての理論と関係の原理を知ることである、と言った。凡俗な音楽家たちを悩ます、このようなことをすべて研究したら、どんなに幸福だろう、と私は思った。(中井あい訳「日記」より)
音楽の手帖「ショパン」(青土社)P143

ショパンの音楽が深いのは、フーガに限らず彼が音楽上のすべての理論と関係の原理を知っていたからであり、結局のところいつも自己の内面を見つめ、常に技術を練磨していたからだろう。彼の音楽に終わりはなかった。

ショパン:夜想曲全集
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)(1995.1, 1996.1&4, 1996.6録音)

ピリスの弾く第8番変ニ長調作品27-2の、何という「ため」と解放!!囁きかけるピアニズムが聴く者を金縛りに遭わせる、と同時にこの優しさに僕たちは癒される。この曲を聴くだけでもこの音盤を手にする価値は十分にある。あるいは第10番変イ長調作品32-2の躍動はいかばかりか!
さらに、第11番ト短調作品37-1中間部に聴こえる哀しみの深さはピリスならではのもの。主部のトリルが実に美しい。また、第13番ハ短調作品48-1の例えようのない孤独感と、それにまつわるあまりの静けさに心が震える。

こうやって順番に耳にするだけで別世界に誘われるのだからやっぱりショパンは天才。
そして、各曲に対してそれぞれ相応しい解釈で表現できる技術と感性を持ったピリスも大いなる天才。

 

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