ムラヴィンスキーのベートーヴェン&モーツァルトを聴いて思ふ

beethoven_1_mozart_33_39_mravinskyベートーヴェンの最初の交響曲が実に新鮮に響く。モーツァルトの最後の交響曲同様、「ハ長調」という調性をもつこの作品は明朗で快活だが、どこか「不穏」に満ちる。まるで来るべき混迷の世界を予想するかの如く、そして、自身の難聴という音楽家としては致命的な疾病を予知するかの如く「明るさ」の中に鈍重で暗澹たる面持ちを示す。

ベートーヴェンの最大の才能は「先見」だろう。初期の作品群は、ハイドンやモーツァルトの影響を多大に受けながらも独自の音楽性を秘める。第2楽章アンダンテ・カンタービレ・コン・モートの、静かな無色透明的音響の内側に見出せる「闘争心」がいかにもベートーヴェンの音楽であることを物語る。何という意味深い足取り・・・。第3楽章メヌエットはもはや踊りではない。あくまで聴くための絶対音楽だ。

「無」になって作品を聴いてみる。記憶を消して、今まさに創造された音楽をここで聴く。エフゲニー・ムラヴィンスキーの手にかかると一筋縄ではいかない。「アレグロ・コン・ブリオ」はあくまで「アレグロ・コン・ブリオ」であり、一切の虚飾を排し、そこにはただベートーヴェンの生み出した音楽があるのみ。あまりに崇高で美しい。

ベートーヴェン:
・交響曲第1番ハ長調作品21(1982.1.28Live)
モーツァルト:
・交響曲第33番変ロ長調K.319(1983.12.24Live)
・交響曲第39番変ホ長調K.543(1972.5.6Live)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

ベートーヴェンの作品から遡ること十数年。モーツァルトのK.543は、現実的貧困に喘ぎながらモーツァルトが空想の中で書き上げた大輪だ。何という軽快で明るい響きに満ちることか・・・。さすがにムラヴィンスキーが指揮をすると、この音楽は哲学的趣きを露わにし、当時のモーツァルトの「心の闇」を表出する。第2楽章アンダンテ・コン・モートの得も言われぬ哀しみを感じたまえ・・・。
7年前のモスクワでの演奏に比較すると、先鋭的な響きが幾分丸くなったように感じられるが、その分解釈に余裕が感じられる。音楽が流れに流れ、決め所では楽器がうねり、聴く者を恍惚とさせる。何という自然体のモーツァルト。なるほど、ベートーヴェンのメヌエットの萌芽がすでにK.543のメヌエットにあったのか。トリオこそ「踊り」であるが、主部はダンスなどではない。

さらに遡ること10年弱。K.319のあまりの優しさに跪いてしまいそう。第1楽章アレグロ・アッサイにおいて、「ジュピター」交響曲終楽章のフーガ主題が顔を見せるたびに思わず笑みがこぼれる。そして、終楽章アレグロでのパッヘルベルの「カノン」に酷似した旋律に感じられる解放感。嗚呼、美しい・・・。

ムラヴィンスキーのモーツァルトやベートーヴェンは唯一無二。K.319を耳にするたび、この人の「ジュピター」交響曲が聴きたかったといつも思う。さぞかし雄渾かつ意味深い名演奏になったことだろう。

 

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1 COMMENT

畑山千恵子

これは面白い組み合わせですね。ただ、ベートーヴェンの場合、第1番のメヌエットはスケルツォになっていますね。ピアノソナタでも第1番のメヌエットはスケルツォというべきものですね。本当の意味でのメヌエットは第8番ですね。

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