バーンスタイン指揮イスラエル・フィルのメンデルスゾーン「スコットランド」(1979.8録音)を聴いて思ふ

自然は感覚を刺激する。
至るところに電磁波溢れる現代、直感を喪失した僕たちはこのあとどこに向かって進んで行くのだろう?

私たちは、今日の夕方遅くに、メアリー王女が住んでいた宮殿に行きました。そこで見るべきものは、回り階段をのぼったところにある小さな部屋でしたが、殺害者たちは、そこでリチオを見つけて彼を引き出し、そこから部屋を3つへだてた薄暗い角で彼を殺害したのでした。その横にある礼拝堂は、今では屋根がなく、草や蔦が生い茂っていました。メアリーは、そこの壊れた祭壇の前でスコットランドの女王に即位したのでした。あたりはすべて壊れ、朽ち果てています。そこには、明るい空が覗きこんでいます。私は今日、そこで「スコットランド交響曲」の開始部分を着想したのです。
(1829年7月15日付、家族宛手紙)
TOCE-9798柴田龍一ライナーノーツ

暗澹たる光景に差す一条の光こそ希望の象徴。
これぞ十数年の時をかけて書き継がれた「スコットランド交響曲」の魅力。
作曲家はまた、次のようにも書く。

やむを得ず「スコットランド交響曲」の創作を中断しなければなりません。この作品を仕上げるためには、霧の立ち込めたスコットランドに戻らなければならないでしょう。
(1831年、家族宛手紙)
~同上ライナーノーツ

幾度もの渡英を繰り返したなかで試行錯誤、推敲され、ようやく生み出された作品は、自然に触発された作曲家の心象風景であり、おそらくその分その解釈はとても難しいのだろうと想像する。

レナード・バーンスタインはかく語る。

オーケストラ指揮者にとって、スコアが「熟成した」状態になるなんてけっしてあり得ないのです。若い時に勉強して、隅々まで理解して暗譜してしまったから、新たに勉強したって何の得にもならない、などと指揮者は考えてはなりません。「いや、私にはスコアを読み直す必要はない。よく分かって暗譜しているから!」などと私はけっして言いません。私にとって、一冊のスコア、ひとつの交響曲、音楽は、自分を革新する継続的なチャンスなのです。
バーンスタイン&カスティリオーネ著/西本晃二監訳/笠羽映子訳「バーンスタイン音楽を生きる」(青土社)P128

人生に卒業はない。いつどんな時も自らを新たにするためのチャンスであり、そのチャンスを生かすも殺すも自分次第なのである。最晩年のバーンスタインの言葉は真に思い。しかし、そんな彼にとっても暗譜するのが困難だった作品があるという。

時々、何人かの作曲家については幾分ためらったことがありましたね。
メンデルスゾーンの作品の一部です。
~同上書P129

その詳細をそれ以上彼が語ることはないが、おそらく作曲家が長期間迷い迷ってようやく陽の目を見た「スコットランド交響曲」などは彼の不得意とした最右翼なのかもしれない。

メンデルスゾーン:
・交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」(1979.8録音)
・交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」(1978.10録音)
レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

果たして共感が少ないのだろうか、どこか間の抜けた感の否めないバーンスタインのメンデルスゾーン。それでもイ短調交響曲の第3楽章アダージョは実に美しい。そして、終楽章アレグロ・ヴィヴァーチッシモ―アレグロ・マエストーソ・アッサイのコーダにおける解放には、作曲者の愉悦が踊り、それにいかにも感応する指揮者の念の同期が興味深い。

その年(1842年)の5月の末、彼はセシルと一緒に7回目の訪英のため船に乗った。6月13日のロンドン「音楽愛好協会」での《スコットランド交響曲イ短調》の大成功は、バッキンガム宮殿でアルバート公とうら若いヴィクトリア女王に迎えられるだけの価値があった。
レミ・ジャコブ著・作田清訳「メンデルスゾーン」P167-168

傑作だ。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村


2 COMMENTS

雅之

どんな大指揮者でも、得意・不得意、作品と波長が合う、合わないはありますよね。バーンスタインの場合、メンデルスゾーン以外にも、たとえばブルックナーなら9番の指揮はOK、8番は苦手、ワーグナーなら、トリスタンは得意、指輪は不得意といった具合に・・・。

私自身、今月コメントのテーマとして自らに課してきたのは、「不得意分野にチャレンジする」でした。メンデルスゾーンにしても、他の大作曲家にしても、それぞれの「今」を生きてきたはずです。ですから極力ごく近過去に巷で流行っていたものとのコラージュ、リンクをするように試みてみました。失敗回も多かったかと思いますがどうかお許しを。

ここで再現部です。

・・・・・・全てのことを深く知るのって無理だと思わない? 誰かが知っていることを誰かは知らなくて、そうやって世界はまわってるんじゃないかしら。・・・・・・ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」から、土屋百合の台詞より

http://classic.opus-3.net/blog/?p=22818

返信する
岡本 浩和

>雅之様

おっしゃる通りですね。
オールマイティは本来あり得ません。

>、「不得意分野にチャレンジする」

なるほど、そういう意図があったのですね!失敗回どころか、毎回いろいろな気づきを与えていただきありがとうございます。
あらためて世界が相対で成り立っていることを知らされました。
ありがとうございます。

それにしても「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマですが、深いですね。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む