コンサートのプログラム内容が変更されることはよくあることだが、大抵の場合は演奏者の一方的な都合によるものだ。今でこそなくなったが、若い頃作品目当てにチケットを手にいれたのに、演奏楽曲が変更になり、悔しい思いをしたことが何度もあった。
過日、ヴェンゲーロフ・フェスティバルでブラームスの二重協奏曲がベートーヴェンの三重協奏曲に変更になった(お蔭でオール・ブラームス・プロでなくなったのだが)。そのことにがっかりしたファンはそれなりにいたようだが、どちらかというと僕もその一人。これまで実演でも音盤でも「良い音楽だ」と感心したことがなかったものだから。ただし、ヴェンゲーロフの演奏そのものは良かったはずだ(「はずだ」というのはともかく会場が難点で、よく音楽が聴こえなかったこともあり判断いたしかねたということ)。
しかしながら、何年か前から僕の内側にあるこの曲にまつわる疑問が最近ますます大きくなる。どうにかそれを解きたいと思うのだが、どこにもヒントになるような事実が落ちていない。その疑問とは、「ベートーヴェンは何を思ってこの作品を創造したのか?」ということ。
ところで、昨日も採り上げた「ハイリゲンシュタットの遺書」から再度引用。
私の願いは君たちが私よりももっと幸福に心配なく暮らしてくれることだ。君たちの子供には「徳」ということを勧める。これだけが人間を幸福にする。金ではない。私は経験から言うのだ。みじめな中にあってもこの私を保ってくれたのもそれだ。芸術と同じく、この私を自殺から救ってくれたのもそれだ。
(1802年10月6日付)
空想してみた。この遺書の時点でベートーヴェンはフリーメイスンの会員になっていたはず。ベートーヴェンがここで言う「徳」というのは、ひょっとするとフリーメイスン思想に依るものかもしれない。ちなみに、フリーメイスンが掲げる徳は、プラトンの四元徳、すなわち「知恵、勇気、節制、正義」と、キリスト教における三元徳、すなわち「信仰、愛、希望」の7つを指すが、四元徳を管弦楽(木管群、金管群、打楽器、そして弦楽器群)に、そして三元徳を3つの独奏楽器に担わせ、それらを掛け合わせようと彼が試みたと考えてみたらば・・・(1803年から04年にかけて作曲されているから時期的には符合する。しかし、ちょっと無理があるか??笑)。
カラヤンはどうやらこの作品を得意にしていたよう。ソビエトの巨匠たちとのEMI盤も屈指の名演奏だが、明朗で大らかな楽想のこの音楽をいかにも大作風に解釈し、「能天気な」(?)大演奏が繰り広げられる。そして、この作品に暗示された「信仰、愛、希望」なる思想が3人の若手独奏者の見事なアンサンブルによってベルリン・フィルの絶美の音と融合するのである。
妄想終わり・・・(笑)。
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