ルービンシュタインのショパン「夜想曲全集Ⅰ」(1965.8&9録音)を聴いて思ふ

ショパンの音楽は郷愁を誘う。
彼の内側にある祖国への想いが、どの作品にも通底する。
その何とも表現し難い哀感が時に涙を誘うが、耳元に邪魔にならないバック・グラウンド・ミュージックとして機能する際の得もいわれぬ快感が僕には忘れられない・・・。

槙子は十二吋の赤盤を選って、ショパンのノクターンをコルトーが弾いたのを器械にかけたが、それは少年たちの教養の外にあったのに、しかも知ったかぶりをするではなく、彼らは与えられた曲に素直に耳を傾けた。すると馴染まぬ音楽の、冷たい水に肌を沈めて泳ぐ快さに似たものが、気持にしみ入った。そういう静かな受容の心と比べれば、わが家の塾にいるときは、仮面の生活をつづけているようなものだと勲は思った。
それが証拠に、音楽は今や彼の心を自在に遊弋させて、鬼頭家へ来るたびに見たこと聴いたこと、いずれもその一隅に紋章のように小さく槙子の肖像を泛べた記憶のくさぐさが、ピアノの音の流れにつれて、次々と鮮明に目の前をよぎった。
三島由紀夫著「奔馬(豊饒の海・第2巻)」(新潮文庫)P169

三島の志向とは相反するようなショパンの音楽であるが、しかしコルトーのそれとなると話は別かも知れぬ。しかも、なぜに「夜想曲(ノクターン)」?!
堕落してゆく大日本帝国の行く末を案じ、共闘を試みんとする少年たちの血の滾りを鎮めんと、企むかのような作法。しかし、動きの激しいコルトーのショパンでは鎮まるものも鎮まらぬのではないのか(時代考証的に当時はそれしか選択肢がなかったといえるけれど)。
僕にとっては決してコルトーではない。ショパンのノクターンはルービンシュタインに止めを刺す。

ショパン:夜想曲全集Ⅰ
・第1番変ロ短調作品9-1
・第2番変ホ長調作品9-2
・第3番ロ長調作品9-3
・第4番ヘ長調作品15-1
・第5番嬰ヘ長調作品15-2
・第6番ト短調作品15-3
・第7番嬰ハ短調作品27-1
・第8番変ニ長調作品27-2
・第9番ロ長調作品32-1
・第10番変イ長調作品32-2
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)(1965.8.30-9.2録音)

音楽は終始柔和で明朗。
これほど悠揚と夢見るショパンはかつても、そして今後もないのでは?

夜の帳が降り、
一切の音が消え去ったあとに
残るかすかな余韻・・・。
ルービンシュタインの奏でるショパンの音楽が、
ピアノの音の一粒一粒が、
融けて消える。
そこにあるのは、覚醒だろうか。

昼休みになり、ルービンシュタインはRCAイタリアーナの軽食堂で私たちと食事をとった。お喋りが続き、エスプレッソを2杯、モンテクリストの葉巻を1本ずつオルシーニとルービンシュタインと私がくゆらせたあと、「仕事」(ルービンシュタインが弾くショパンを一日中聴くことをこう呼べればの話だが)に戻った。
アルトゥール・ルービンシュタインのレコーディングはこんな具合だった。素晴らしい体験である。
―マックス・ウィルコックス(訳・木村博江)
~BVCC-5073ライナーノーツ

何て優雅な「仕事」なのだろう!!羨ましきかな。

 

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3 COMMENTS

雅之

>何て優雅な「仕事」なのだろう!!羨ましきかな。

「白鳥の水かき」は見えませんからね(笑)。

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